ジョージ・オーウェルの『1984年』、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』…監視国家の誕生で自由を奪われ動物園化する中国社会

 ペンス米副大統領は、昨年10月の講演で、「中国は国内では、他に例を見ない監視社会を築いており、ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いた人間生活の支配システムを構築しようとしている」と述べた。

 6月28~29日の大阪G20(20カ国・地域)首脳会議の前に、ペンス米副大統領が6月24日にワシントンの研究機関「ウッドロー・ウィルソン・センター」で米中関係について演説を行う。この演説は「中国の人権問題を厳しく非難する内容」になる見通しだ。ペンス副大統領がどんな発言をするのか要注目である。

 中国だけではない。筆者は2015年10月のレポートで、『海外勢は日本がジョージ・オーウェルの「1984年」というSF小説を想起させる不気味な方向に向かっているのではないか?」という感触を持っているらしい』と書いた。今、我々は統制経済と国家の相場操縦の中で相場をやっているのである。

【では、先ほどの問題の答えを教えてやろう。つまりこうだ。我が党が権力を求めるのは、まさにそれが目的であるからだ。他人の幸福など関係ない。関係あるのは権力のみ、純然たる権力のみだ。では、純然たる権力とは何か。いまから教えてやろう。我々が過去の少数独裁と違うのは、自分たちが何をしているのか理解しているところにある。我々と似ているものもあるが、結局は臆病で偽善的だった。例えば、ナチスドイツもロシア共産党も方法論的には我々と非常に似通っている。だが、奴らには自分たちの動機を自覚するだけの勇気がなかった。自分たちが不本意かつ暫定的に権力を握ったふりをしたのだ。しかも、人々が自由かつ平等に暮らす楽園がすぐそこにあると装った。あるいは、本当にそう信じていたのかもしれない。しかし、我々は違う。権力を手放す気がある者に権力をつかめたためしはない。権力は手段ではない。目的なのだ。革命を守るために独裁を確立するのではない。独裁を確立するために革命を起こすのだ。迫害するために迫害をする。拷問するために拷問をする。権力をふるうために権力をつかむのだ。な、だんだん分かってきただろ。】(ジョージ・オーウェル『1984年』)

 ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生―監視と処罰』で、我々が社会の無意識的な構造の中で、制度やとらわれの中で生きていることを指摘した。ミシェル・フーコーについては、筆者のブログの記事を参照されたい。

【私が指摘しておきたいのは、中央銀行が操縦する世界で、投資家が相場の動きを知るのは、そして世界がここ5年、ましてや10年で、どのようになるか知るのは、ほとんど不可能であるということだ。中央銀行は経済的・金融的安定を築こうとしていると世間的にはみなされている。しかし実際には、巨大なバランスシートと市場介入によって金融市場にとてつもない不安定性と不透明性を築こうとしているのだ。】(出所:マーク・ファーバー博士の月刊マーケットレポート[パンローリング株式会社])