[平成9年(1997年)4月時点]投資信託の黎明(れいめい)期

 投資信託のデータが包括的に整備されたのは1997年4月以降である。当時の純資産総額上位10本は上表のとおりだ。当時の投資信託の投資先は国内株式が中心だった。日経225に連動するインデックス投信が主流であり、アクティブ投信の人気はそれほどでもなかった。ただし、純資産1位、2位がブルベア型であったことを鑑みると、長期投資のためのツールというよりは、短期的な投資機会を狙うためのツールという意味合いが強かったことがうかがえる。

[平成12年(2000年)2月時点]日本株アクティブ投信の隆盛とITバブルの崩壊

 国内株式市場は、1989年に日本のバブル景気が崩壊して以降、湾岸戦争、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などを背景に乱高下を繰り返していた。しかし、90年代後半に米国に端を発したドットコム・バブルが日本にも波及し、久方ぶりに国内株式市場も活況となった。

 そのような背景の中、隆盛を極めたのが日本株に投資するアクティブ投信である。90年代後半以降、運用会社各社は「日興ジャパンオープン」、「フィデリティ・ジャパン・オープン」、「アクティブ・ニッポン」など、旗艦ファンドと呼ばれるアクティブ投信を総力を挙げて設定した。

 また、「デジタル情報通信革命」といったインターネット関連株に投資するテーマ株投信も人気を集めた。そして、満を持して登場したのが「ノムラ日本株戦略ファンド」だ。同ファンドには「Big Project-N」という愛称が付けられたように、「大中型バリュー」、「大中型グロース」、「小型ブレンド」など、それぞれ投資スタイルに応じた専門の運用チームが運用を行う仕組みで、当時としては画期的な投信であった。

 同ファンドは、投資家の熱狂的な支持を集め、当初設定で1兆円という莫大な資金を集めた。当初設定で1兆円を集めたファンドは後にも先にも同ファンドが唯一であり、まさに歴史に名を残す1本となった。しかし、同ファンドが歴史に名を残したのは設定金額だけではなかった。同ファンドが設定されたのは、ITバブルが崩壊する前夜ともいえる平成12年(2000年)2月。まさにバブル相場の大天井で設定されたのだ。

 同ファンドは設定から3年で、トータルリターンが-60%まで下落。投資家の期待が絶頂に達したときが相場のピークであることを体現してみせた。なお、昨年後半、同ファンドは設定から17年ぶりに基準価額を1万円まで回復させたが、今月に入り、再び1万円を割り込んでいる。