[平成18年(2006年)12月時点]第一次毎月分配型投信ブームと国際分散投資の広まり

 現在でも毎月分配投信は根強い人気を集めているが、日本で毎月分配型投信が初めて設定されたのは平成9年(1997年)と意外と古い。日本初の毎月分配投信は、旧アライアンス・キャピタル(現アライアンス・バーンスタイン)が設定した「アライアンス・ハイ・イールド・オープン(現アライアンス・バーンスタイン・ハイ・イールド・オープン)」である。

 毎月分配型投信は、当時円安の市場環境にも支えられ、主に海外債券に投資するファンドを中心にじわりじわりと人気を集めていた。そして、毎月分配型投信が第一次ブームを迎えたのが平成18年(2006年)12月。ついに「グローバル・ソブリン・オープン(毎月決算型)」の純資産が5兆6千億円に達したのだ。

 そして、この頃には世界的なバブル景気と相対的に低迷する日本経済を背景に、投資家の資金はより高い利回りが期待される海外資産に向けられた。純資産上位10本を見ても、外国債券だけではなく、外国株式や外国REITあるいはバランス型投信と様々な投資先のファンドが1兆円を超える資金を集め、国際分散投資という考え方が一気に広まった。

 しかし、歴史は繰り返すのか、翌年にはリーマンショックの発端となるサブプライムローンに火がつき、世界的なバブル景気は崩壊した。当時、「海外資産に幅広く分散投資していれば大丈夫」と思われたバランス型投信は、投資家の期待とは裏腹に大きく下落した。

 バランス型投信が下落した理由は、為替リスクにある。投資家は、外国の株式や債券に幅広く分散投資していたものの、ほとんどの資産が外貨建てであったため、リスクオフによる円高局面で総崩れとなった。今考えれば、当時のバランス型投信は、投資家のリスク許容度を無視した稚拙な資産配分だったと言わざるを得ないだろう。

 なお、投資家の人気を集めた毎月分配型投信は、市場の急落とともに分配金を引き下げることとなった。これに失望した投資家は、(自分のリスク許容度を顧みずに)より高利回りの市場、高分配の投信に資金を移行していくことになる。