事業家の心理と「アニマル・スピリット」

 長期を前提に投資を考えるには、企業家がどのように投資の意思決定を行っているかを把握しなければならない。

 ケインズは、期待収益を予測するにあたって依拠しなければならない知識の根拠は「極度にあやふや」だと半ば驚きながら宣言する。

「数年先の投資収益を左右する要因についてわれわれがもっている知識はふつうはごくわずかであり、たいていの場合、それは無視できるほどのものである」(P205、前掲書。以下同様)、ビルディングであっても、大西洋を渡る定期船であっても、10年後の収益を予想するための知識の基礎はごくわずかで、時には皆無であり、「10年先はおろか、5年先でさえ、そうなのである」とケインズは自分の観察を述べる。これはプロが行う投資分析の現実に照らしても、もっともな現実把握だ。

 投資は決して期待利潤の綿密な計算に基づいて行われるものではなく、「血気盛んで、建設的衝動に駆られた人間」の意欲によって行われるということに加えて、投資の平均的成果は「たとえ進歩と繁栄の時期においてさえ、人々を投資に駆り立てた希望を挫くものであったと思われる、とも語っている。

 つまり、ケインズから見て、投資(事業における実物投資)とは純粋な計算から見ると間尺に合う代物ではないが、事業者の「血気」によって行われているものだ、ということになる。ケインズの体系にあっては投資の有効水準が生産水準、ひいては国民の所得も雇用も決めるのだから、この現実は由々しき事態だといってもいいだろう。

 この「血気」については、12章の後の方でも触れられていて(P223~P224)、「われわれの積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ、快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりも、むしろおのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定性がある」(P223)、「その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ。訳書ではルビ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われる」(P223~P224)と述べられている。

 ケインズは行動ファイナンスでいうところの人間の「オーバー・コンフィデンス」の傾向について、そのいい加減さの影響と共に、重要性も同時に認識していた。

「もし血気が衰え、人間本来の楽観が萎えしぼんで、数学的期待値に頼るほかわれわれに途がないとしたら、企業活動は色あせ、やがて死滅してしまうだろう」(P224)と彼はいう。

 続いて「とはいえ、往事の利潤への[過度の]期待がいわれのないものであったと同様に、損失への[過度の]怖れも合理的な根拠を欠いているのであるが」と、この「血気(アニマル・スピリッツ)」の振れ幅の大きさも指摘している。

 この辺りの人間理解のリアリティはケインズの大きな魅力の一つだ。