「投機」と「企業」、およびケインズの「結論」

 ケインズは、「投機という言葉を市場心理を予測する活動に、企業という言葉を資産の全耐用期間にわたる期待収益を予測する活動に」充てている(P219)。

 彼の分類は、考え方として筆者の流儀での「投資」と「投機」の分類に正確に対応するものではないが、実際の活動を分類する上では、「企業」の活動への資金提供となる「投資」と、市場心理を予測するゼロサムゲームである「投機」との区別に対応しているように思える。

 ここでのケインズの懸念は、先にも述べたように、資本市場が組織化されるにつれて、「企業」よりも「投機」が優勢になるのではないか、ということだ。「一国の資本の発展が賭博場(カジノ)での賭け事の副産物になってしまったら、なにもかも始末に負えなくなってしまうだろう」という心配がその内容だ。

 ケインズの見るところ「社会的に見て有益な投資政策が最も多くの利潤を稼ぐ投資政策であることを示す明確な証拠は経験上何一存在しない」(P215)。われわれには「他人を出し抜く」ために必要な以上の知力が必要だが、それが金銭的利益に結びつく保証はない(P217)とも言う。

 結局、ケインズは、資本市場のパフォーマンスに関して「懐疑的」になり、「利子率に影響を及ぼすことを目的とした金融政策がただそれだけで成功を収めうるとは考えていない。これからは、長期的視野に立ち社会の一般的利益を基礎にして資本財の限界効率を計算することのできる国家こそが、投資を直接組織化するのに、ますます大きな責任を負う、と私は見ている」と、本来あるべき「企業」の活動への希望を国家に棚上げしてしまっている。このケインズの結論に対する評価は様々だろう。

 筆者は、狭義の金融政策だけで経済の問題が解決できない状況があることについてケインズに同意するが、国家が「社会の一般的利益を基礎にして資本財の限界効率を計算する」ことなどできないと思うので、後半部分には賛成できない。読者はいかがだろうか?

 結論への賛否は別として、「一般理論」の第12章はともかく面白い。ぜひ読んでみて頂きたい。

【コメント】

 ケインズの有名な「一般理論」の第12章が投資家にとって大変面白い内容であることは、本文に述べたとおりだ。2011年の記事掲載から10年経っているが、その点には現在も全く疑問はない。ともかく読んでみて欲しい。そして、本文にもあるとおり、本を最初から読むのではなく「12章から」読んで欲しい(経済学部の学生なら、たぶんその理由が分かるだろう)。

 さて、重要な情報がある。2011年の記事では、岩波文庫版の間宮陽介訳の翻訳を紹介したが、その翌年、2012年に講談社学術文庫から山形浩生訳の「雇用、利子、お金の一般理論」が出た。こちらの方が読みやすいので、これから読まれる方には、この翻訳をお勧めする。215ページから、236ページまでの22ページだ。

 夏休みの読書に、是非お勧めする。(2021年7月19日 山崎元)