「1930年代の大恐慌以来で最悪の景気後退」というIMFの見方

 IMF(国際通貨基金)は4月14日に最新の世界経済見通しを発表した。新型コロナウイルスによって経済活動が停滞し、1930年代の大恐慌以来で最悪の景気後退になるとの見方をとっている。

 株式は短期間でかなり売り込まれた。日経平均もかつてないスピードで31%下げた。ところが、驚いたことに、まだ「パニックの兆候」が全くみえていない。確かに、追加証拠金の請求がいくらか発生し、投機家がいくらか一敗地にまみれた。

 ところが、同時に、ほとんどの投資家が回復期待から機を逃すまいと構えている。FRBが不良債権をすべて買い入れるという無限大QE(量的緩和)を宣言したからだ。

日経平均(日足)とフィボナッチのリトレースメント

出所:石原順

 株価の世界的な大暴落は、一旦は落ち着いている。しかし、30%程度の下げは通常の景気後退期の平均的な下げ率に過ぎない。次は、「2番底」という恐怖が襲ってくる確率は小さくない。

 この暴落相場を買い支えたのは、各国政府と中央銀行である。相場の世界でマニピュレーション(価格操作)ほど脆いものはない。米国の連銀が不良債権のゴミ箱と化すなか、もう資本主義の市場メカニズムなど誰も信じていないのである。

 ナシーム・タレブは『反脆弱性』のなかで、「社会を脆くし、危機を生み出している主犯は、〝身銭を切らない〟人たち」であるという指摘をしている。『まぐれ』や『ブラック・スワン』を書いたナシーム・タレブは金融界でのそうそうたる経歴を経た後、現在は文筆業と研究に専念している。

 彼は金融トレーダーとして、リスクや不確かさの定量化に関しては常に懐疑的であった。しかし、今日の大多数の人々は「だまされたがっている」のかもしれない。ニーチェが指摘した日々の奴隷的生存および社畜・国畜労働に疲れた人々は、「考えたくない」のである。「だまされていた方が楽だ」という気持ちが意識の深部に宿っているのだ。

「社会を脆くし、危機を生み出している主犯は、〝身銭を切らない 〟人たちだ。世の中には、他者を犠牲にして、自分だけちゃっかりと反脆(はんもろ)くなろうとする連中がいる。彼らは、変動性、変化、無秩序のアップサイド(利得)を独り占めし、損失や被害といったダウンサイド・リスクを他者に負わせるのだ。そして、このような他者の脆さと引き換えに手に入れる反脆さは目に見えない。

 ソビエト=ハーバード流の知識業界は反脆さに対して無知なので、この非対称性が着目されることはめったにないし、教えられることは(今のところ)まったくない。さらに、2008年に始まった金融危機でわかったように、現代の制度や政治事情が複雑化しているせいで、破綻のリスクを他者に押しつけても、簡単には見破られない。

 かつて、高い地位や要職に就く人というのは、リスクを冒し、自分の行動のダウンサイドを受け入れた者だけだった。そして、他者のためにそれをするのが英雄だった。ところが、今日ではまったく逆のことが起こっていて、逆英雄という新しい人種が続々と出現している。官僚。銀行家。ダボス会議に出席する国際人脈自慢協会の会員のみなさん。真のリスクを冒さず説明責任も果たしていないのに、権力だけはやたらとある学者など。彼らはシステムをいいように操作し、そのツケを市民に押しつけている。歴史を見渡してみても、リスクを冒さない連中 、個人的なエクスポージャーを抱えていない連中が 、これほど幅を利かせている時代はない」(ナシーム・タレブ『反脆弱性』)

 タレブ流にいうなら、日本国の政策はさしずめ、「国民にリスクを押し付ける政策」ばかりだ。

 タレブ氏は3月30日のブルームバーグテレビジョンとのインタビューで、新型コロナウイルス感染拡大のようなパンデミック(世界的大流行)は予見可能であったと述べている。

 筆者はコロナウイルスのパンデミック相場について、そこまで言う気はないが、現在のバブル崩壊は必然である。2011年から10年間積み上がったバブルが、この程度の小さな修正でリセットされることはないだろう。

タレブ氏助言のテールリスクファンド、3月はプラス3612%のリターン
(ブルームバーグ 2020年4月9日)

 2008年の金融危機を予測したベストセラー「ブラック・スワン」の著者ナシーム・タレブ氏が助言するテールリスク・ヘッジファンドは、3月の運用成績がプラス3612%となった。株価の急落に備えるプロテクションとして投資した顧客は大いに報われた。

 タレブ氏は3月30日のブルームバーグテレビジョンとのインタビューで、新型コロナウイルス感染拡大のようなパンデミック(世界的大流行)は予見可能であり、ヘッジを行っていなかった投資家は大幅な損失を被り、報いを受けたと述べていた。

 パンデミックを機に、ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いた人間生活の支配システムがこれからなし崩し的に構築されていくだろう。

「では、先ほどの問題の答えを教えてやろう。つまりこうだ。我が党が権力を求めるのは、まさにそれが目的であるからだ。他人の幸福など関係ない。関係あるのは権力のみ、純然たる権力のみだ。

 では、純然たる権力とは何か。いまから教えてやろう。我々が過去の少数独裁と違うのは、自分たちが何をしているのか理解しているところにある。我々と似ているものもあるが、結局は臆病で偽善的だった。

 例えば、ナチスドイツもロシア共産党も方法論的には我々と非常に似通っている。だが、奴らには自分たちの動機を自覚するだけの勇気がなかった。自分たちが不本意かつ暫定的に権力を握ったふりをしたのだ。しかも、人々が自由かつ平等に暮らす楽園がすぐそこにあると装った。あるいは、本当にそう信じていたのかもしれない。

 しかし、我々は違う。権力を手放す気がある者に権力をつかめたためしはない。権力は手段ではない。目的なのだ。革命を守るために独裁を確立するのではない。独裁を確立するために革命を起こすのだ。迫害するために迫害をする。拷問するために拷問をする。権力をふるうために権力をつかむのだ。な、だんだん分かってきただろ」(ジョージ・オーウェル『1984年』)

 今、我々は統制経済と国家の相場操縦の中で相場をやっているのである。