円安進行で家計に「税」、企業に「補助金」

――円相場は1ドル=151円後半まで円安が進みましたが、今後の為替相場の見通しはどう考えますか? 日銀が金融政策の正常化に踏み切っても円安基調はまだ続くとみますか?

 為替レートは相対価格なので、金利差が重要になるわけです。だから日本の金利だけでは決まりません。米国の金利がどう動くかに非常に大きく左右されます。

 しかも為替を動かすのは、足元の短期金利というよりは将来の金利見通しにもかかるわけです。今回、日銀は非常に慎重に金融緩和の解除を進める姿勢を示したことから、極めてハト派的な利上げだと受け止められて、マイナス金利解除を決めた後にむしろ円安が進んだわけです。

――米国のFRBが3月20日のFOMC(連邦公開市場委員会)で示した金利見通しで年内3回の利下げがあるとの従来予想を維持しました。米利下げが年内3回あれば、円安が日米金利差縮小から修正される可能性はありますか?

 円安が修正されるかは分かりません。為替レートは美人投票の世界で、ファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)でパシッと決まるわけではありません。何か新しい材料が出てくるとその正しい解釈というより多数派の解釈がどうなるかの予想に左右されてしまうので、短期的にどうなるかは難しい問題です。

 ただ、少し前は日銀がマイナス金利を解除したら1ドル=130円台まで円高になるんじゃないかとの予想が多かったですが、円高には進みにくいというのが今のマーケットの受け止めになっています。

――円安が企業と家計に相反する影響を与えるとはどういうことでしょうか?

 黒田東彦前総裁はむしろ円安は大歓迎という人でした。黒田さんのロジックは、当時の日銀の展望リポートのシミュレーションにも出てくるように円安はトータルではGDP(国内総生産)を引き上げるよう作用する点を重視していたと思います。

 ただ、全体でプラスでも損得が偏ると、政府は困ります。企業収益は円安で上がる一方、物価が上がって個人消費は弱っていく。そうすると、国民の不満がたまり、選挙の与党票も減るわけです。

 鈴木俊一財務大臣の方が日銀よりも円安進行に遥かに深刻な反応をして、「これは悪い円安の可能性がある」といった発言もされてきたのはそういう心配もあると思います。日銀と財務省は為替レートの急激な変動は好ましくない、という妥協点で一致していますが、両者の軸足は本来違うわけです。

 植田さんはマクロ経済学者だから、黒田さんが言うような円安によるGDPの押し上げ効果も熟知している半面、政府の懸念も理解しているはずです。だから円安が進み過ぎるのはまずいと考えていると思います。

 実際、日経平均株価が史上最高値を更新し、4万円を突破しましたが、NHKの世論調査などでは、国民は恩恵を受けていないという白けた受け止めが大半です。円安が株価や企業収益を押し上げている一方で、そのツケは物価高となって家計に回っています。家計に回るということは、個人消費を押し下げることにつながります。

 円安で株価が4万円を突破して輸出関連企業に「補助金」が出ているようなものだけど、家計には「円安税」がかかって不満がたまっている。こうした状況は、政治的にもまずいし、美しい好循環とはいえないわけです。

 その意味で今回の春闘のベアで、所得分配の仕切り直しをすることは非常に必要で、そうしないと家計だけ割り負けてしまいます。持続可能な好循環につなげる上でも、企業と家計の損得が偏り続けるのは是正しないとまずいわけです。

総務省の家計調査よりトウシル作成

円安で外国人労働者が減少、金融政策が供給面にも作用

――このまま円安が長期間、進むとどういう影響がありますか?

 多くのエコノミストは短期的な観点で黒田説みたいに円安の方がGDPは増える、というメリットを重視してきたのでは、と思います。実際、株価は大きく上昇していますし。

 だけど、長期では、円安にはすごく大きな副作用があります。円安の結果、定住外国人の国内流入が止まり、日本経済の姿をものすごく変えることになりかねないからです。円安が1ドル=150円台まで進んだ結果、日本で働く外国人の賃金は少し前に比べて外貨建てでは4割ぐらい減っています。日本の最低賃金はオーストラリアの半分ぐらいです。

 国立社会保障・人口問題研究所の直近の「将来の人口推計」では、定住外国人が毎年16万人ぐらいずつ増加する見通しになっていますが、このまま円安が進むと、この人たちは日本に来なくなります。日本人の年間出生数は現在72万人ぐらいで今後、さらに減っていく見通しなので、定住外国人が日本の人口動態を大きく左右することになります。

 既に外国人の助けがなければ建設、農業、漁業、介護をはじめ多くの現場が回らなくなっている状況です。コンビニも外国人の方が多いですね。

 これまで金融政策は中長期的な日本の潜在成長率には影響を与えない中立的なものだと考えられていましたが、需要面だけではなく、供給面でも非常に大きな影響を与えることが顕在化し始めているわけです。

――財務省が金利上昇などで国債の利払い費が増える試算も出していますが、国の財政悪化で、円が暴落する可能性はありますか?

 財政リスクで円が暴落する事態は短期的には非常に考えにくいです。日経平均が4万円を突破して、バブル期のピークを越えた背景には、円安以外にも、海外資本が中国から日本にシフトし海外勢の大幅な買い越しとなっているという要素があります。グローバルポートフォリオを考えた時に、アジアで魅力的な投資先の筆頭は中国という時代が続いてきました。

 今、彼らの目には中国の経済状況は極めて不安定にみえるし、地政学的なリスクも大きい。これが日本への投資に追い風になっている面があるわけです。

 こうした中国から逃避しつつある資本移動の動きを踏まえると、短期的には日本の財政リスクが引き金になって危機的な円安を迎えることは考えにくい。何かあるとしたら、首都直下型地震など大きな外生的なショックがあった場合でしょう。(聞き手はトウシル&メディア編集部 田嶋啓人) 

 翁邦雄氏(おきな・くにお)東大卒。1974年日銀入行後、調査統計局企画調査課長や金融研究所長などを歴任。専門は金融論、金融政策論、国際金融論。現在、京大公共政策大学院名誉フェロー。マネーサプライ(今はマネーストック)を巡る岩田・翁論争でも知られる。主な著作に『人の心に働きかける経済政策』『移民とAIは日本を変えるか』『金利と経済 高まるリスクと残された処方箋』、『経済の大転換と日本銀行』

 

 

 

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