異次元緩和から「普通の金融政策に戻す」

――日銀は長期金利を低く抑え込むYCC(イールドカーブ・コントロール、長短金利操作)も撤廃しましたが、この点はどう評価しますか?

 日銀の植田和男総裁のかつての主張は明らかにYCCには否定的でしたから、なるべく早く離脱したかったし、金利誘導が金融政策の根幹と考えている人なので、ETF(上場投資信託)やJ-REIT(ジェイ・リート:国内の不動産投資信託)の買い入れもやめたかったはずです。植田さんが会見で説明した「普通の金融政策に戻す」という言葉に方向感や気持ちがよく表れていました。

 植田さんが日銀の審議委員であった時代(1998~2005年)の講演を読むと、中央銀行が決める政策金利は短期金利の一点であるべきで、中央銀行が長期と短期の二つを同時に決めようとするのは矛盾があり、おかしいと言っていました。当時はもちろんYCC導入前ですが、今でいうYCCをしたとしても長続きしないし、すべきではないと明確に言っていました。

 YCC撤廃は、植田さんは今回の一回で実現させたわけではなくて、マーケットが安定している時を選んで段階的に・先回りして進めていました。長期金利の操作ではオーストラリア準備銀行がYCCと似たYT(イールド・ターゲット)政策を撤廃する時に後手に回って失敗していたから、そこはすごく意識していたと思います。

 YCCとかYTはいわば長期金利の固定相場制です。為替にせよ金利にせよ、固定相場から変動相場に移る時に一番大事なことは、差し迫った必要がない時に進めることです。「必要な時」は市場の圧力が高まっている時なので、市場は荒れてしまうからです。

 植田さんはYCCの撤廃に向けて、市場がまだやめないと思っている時に着実に進めました。長期金利が大きく跳ね上がることもなく、うまくやったと思います。

これまでの「約束」を破らないよう出口戦略進める

――国債の買い入れはこれまでと同程度の金額でする方針は残りました。

 そこにコミットしているわけではないので、マーケットの状況次第で国債を買い入れる額が増減することはあり得ます。一応書いて、市場に安心感を与えることが目的でしょう。長期金利が上がってほしい時は放置するかもしれないし、上昇を抑えたい時は国債を指定した利回りで無制限に買い入れる指値オペで対応するでしょう。

 指値オペをするにしても、政府の為替介入と同じようにスピード調整という言い方をするはずで、長期金利水準にコミットしているわけではない姿勢を示すと思います。

――植田総裁は「2%の物価安定の目標が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断した」と述べていました。金融政策がインフレ対応に後手に回る「ビハインド・ザ・カーブ」と評する識者もいましたが、インフレ対応でこの時期となったことは適切でしたか?

 評価は、インフレ率がこれからどうなるかにも依存しますが、インフレ率が2%を上回るのは今年2月までで23カ月連続ですね。この状況の評価には、二つの観点があると思います。

 一つはビハインド・ザ・カーブであることが金融緩和効果を強める点、もう一つは日銀がビハインド・ザ・カーブになるまで粘り強く金融緩和を続けるという約束は守らなければいけないのか、という点です。

 植田さんは、第二の点は特に強く意識していると思います。

 もし、日銀が、これまでのコミットメント(約束)を破棄して時間不整合的(※)な政策を採用すると、次の金融緩和局面で、同じようなコミットメントをしても誰も信じてくれなくなってしまいます。緩和や引き締めは繰り返しゲームです。一度約束したコミットメントは守らなければ、次の局面での政策運営に大きく響く、という点を植田さんは特に重視していると思います。

 この点はフォワードガイダンスの性質にも関連します。フォワードガイダンスには二つのタイプがあります。一つ目は米国の中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)のように予測を語り、それに政策をひもづけるものです。見通しが変われば、政策が変わっても何の問題もありません。

 もう一つは、植田さんが審議委員の時代に始まった日銀型のフォワードガイダンスで、例えば、「消費者物価指数の前年比上昇率が安定的に2%以上となるまで、現在の金融緩和策を継続する」といったもの。こちらは約束、コミットメントです。約束は守らないとまずい。だから植田さんは、時間整合的な政策を採るべきであり採らざるを得ないと、考えていると思います。

(※)時間不整合性 望ましい政策が時点により変わってしまうこと。時間不整合的な政策の例としては、次のような「金融安定化政策のジレンマ」が挙げられる。金融監督当局は、金融危機が起きる前には銀行は救わないと約束した方が銀行の自助努力を促進する点で望ましい。しかし、金融危機が起きてしまった場合は約束を破って銀行を何らかの形で救済した方が経済へのダメージを小さくできて望ましいことがあり得る。

 また、植田さんは、速水優総裁と政府が激突した時代を含めて、審議委員として日銀が政治との関係で非常に苦しんだ状況を体験し、政治との関係の難しさは身に染みて分かっているので、出口戦略の進め方はそうした点も考慮に入れて慎重に考えているはずです。

 異次元緩和は、安倍晋三元首相の肝いりで始まり、自民党のリフレ派の看板政策でもあるので、会見ではその否定につながらないように慎重に言葉を選んでいた印象でした。

 それに植田さんは審議委員時代から、個人としての意見と異なる組織の意思決定についても、組織の一体性の観点から尊重するタイプです。異次元緩和からシームレスに普通の金融政策につなげる意図があるので、YCCについても昔のように頭から否定はしなかった、ということではないでしょうか。

――今の総裁の立場もあり、異次元緩和に引きずられてしまっているということでしょうか?

 異次元緩和の顔を立てながら、しかし彼が負の遺産と思うところは清算して、普通の金融政策を目指していくことになるでしょう。今回の会見でも、将来の金融政策についてデータを見て判断していくと、「データディペンダント(データ次第)」を強調していました。今回はデータ次第という姿勢を前面に打ち出しただけで、何もコミットしていないわけです。