事件は、過去数カ月で進行したトランプ大統領に関わる複数の事案によって起こった

 まずは地理的条件を確認します。

図:イラク、イラン、サウジなどの位置

出所:筆者作成

 トランプ米大統領は事件について、発生当日、“戦争を始めるためでなく、やめるために行った”と述べました。

 米国に10年以上テロリストとして認定され続けた、イラン革命防衛隊の精鋭部隊と名高い「コッズ部隊」の元トップ、イランの最高指導者ハメネイ氏に次ぐナンバー2の実力者、ガセム・ソレイマニ司令官を殺害することで、中東における米国に関わる状況を、これ以上悪化させないようにすることが目的だったとみられます。

 昨年(2019年)10月下旬以降、イラク国内にある米国関連施設への攻撃が活発化していたと報じられていますが、米国政府は、これらの攻撃をイランが支援するイスラム教シーア派の犯行だとしてきました。

 年末の12月27日(金)、イラク北部のキルクーク地区にあるイラク軍の基地が攻撃され、米国の民間業者1名が死亡しました。その後、12月29日(日)、米軍が報復として、この攻撃に関わったとされる武装組織の拠点を空爆しました。

 そして、この米軍の報復に対し、12月31日(火)、イラクのバグダッドにある米国大使館前で数千人規模のデモが行われました。

 思い返せば、昨年5月と6月にホルムズ海峡付近でサウジや日本のタンカーが被弾して航行を妨害された時も、9月にサウジの石油施設へのドローンにより攻撃を受けた時も、米国はそれらにイランが関わっている可能性があるとしながらも、行動を起こしませんでした。

 しかし今回、具体的に行動を起こしたのは、米国関連の施設への攻撃が活発化していた最中、実際に米国人が死亡したことを機に、これらの攻撃を主導し、かつこれまでの事件に関わった可能性があるイランの司令官を殺害することで、これまで続いてきた争い(戦争)に、ここで終止符を打つためだったと考えられます。

 ただ、筆者はこの点だけでなく、ここ数カ月間に目立ち始めた複数の事案も、インパクトの大小はあるものの、事件の原因になったと考えています。殺害を指示した事件の直接的な当事者であるトランプ大統領の思惑ともに、6つの事案に注目します。

図:イラン要人殺害事件につながる複数の事案とトランプ大統領の思惑

出所:筆者作成

 数カ月前から、
(1)在イラク米国人が、イランが支援する武装組織に攻撃を受ける
(2)イランが核開発を行っている疑惑が浮上。欧州諸国もこれを問題視
(3)米シェール生産増加で、米国の原油在庫は高止まりのまま
(4)ロシア疑惑等でトランプ大統領が窮地に立たされる
(5)サウジでは石油関連施設やタンカーへの攻撃が相次ぐ
(6)米中貿易戦争において、合意を重ねるムードが強まる

 などの事案が目立っていました。

 イランやイラク、サウジといった中東だけでなく、イランの核開発という点ではそれを懸念する欧州諸国、そしてイランと同じく核開発を実行しているとみられる北朝鮮、北朝鮮の核を強く懸念する日本などの周辺国、また、原油生産量が急増して過剰在庫が積み上がったままの米国、貿易戦争の渦中にある米国と中国など、世界各地で同時に複数の事案が発生していたわけです。

 これらの事案について、トランプ大統領は上記の図で示した思惑を抱いていたと考えられますが、実際に、イランの要人を殺害したことで、これらの事案がどのように変化するでしょうか?

 筆者は、
(1)については米国人に被害が生じる戦争をやめるきっかけが生まれ、
(2)についてはイランの核合意違反をさらに強くけん制することができ、
(3)については米国のエネルギーの販売網が拡大し、
(4)については大統領選に向けてトランプ氏に不利な事柄から世間の目がそれ、
(5)についはサウジとの蜜月がさらに深まる、

 などの変化が生じると考えています。

 このように考えれば、今回の事件は、この数カ月間で目立った複数の要素に、一度に大きな変化をもたらすきっかけになったと言えます。トランプ大統領が意図して、大きな変化をもたらすために、事件を起こした可能性はゼロではないと筆者は思います。

 なぜなら、事件後に生じる変化は、あと11カ月間、再選を目指して戦うトランプ氏に利する要素が複数存在するためです。

 米国国内においては、
・米国民を守り、多額の費用が生じる戦争の長期化を避ける姿勢を示しながら、
・米国民の愛国心をくすぐり、
・積み上がった原油の過剰在庫を取り崩す機会を作って米国のエネルギー会社にメリットを与え、
・世間の目を、選挙戦で不利になる疑惑から目をそむける

 などが実現すれば、トランプ氏は選挙戦を有利に進めることができるとみられます。

 また、対外的には、
・イランにより強く毅然とした態度をとり、
・核合意違反をさらに強くけん制し、
・貿易問題で対立する欧州に部分的な賛同を示し、
・北朝鮮の核開発を抑止して東アジア諸国の懸念を取り除き、
・中東から原油供給が途絶する懸念を和らげ、
・サウジの国防強化に協力する

 などの貢献につながります。

 このようなメリットを一度に享受するために、過去数カ月間で起きた事案や大統領選挙までのスケジュールを考慮した上で、事件を起こした可能性がゼロではないと筆者は思います。

 イランはすでに、事件への報復として米国の関連機関に対し、サイバー攻撃をしかけてきています。そして、本日(1月6日)、3日間服した喪が明けるため、今後、イランの報復が表面化する可能性があります。

 ただ、過去数カ月間、米中貿易戦争において合意ムードが強まってきていたため、仮にイランからの報復が頻発して中東情勢の緊張が強まり、世界経済の減速懸念が強まったとしても、世界規模の懸念である米中貿易戦争を鎮静化させることで、中東での懸念の拡大を相殺しようとする可能性があります。

 トランプ大統領は、貿易戦争の相手国である中国、中東で衝突するイランやイラク、それぞれを手玉に取りながら“全体的に”懸念を低下させながら、大統領選挙を戦うつもりでいるのかもしれません。