給料、投資、ギャンブル・・・稼いだ場所で価値が変わる

「同じ20万円でも、ギャンブルで稼いだ20万円は『あぶく銭』だからと派手に使ってしまうけど、汗水たらして働いて稼いだ20万円は大切に使う、というようなことです」
「何に使うか、どう稼いだか、ってことに客観、主観が左右されるということですか」

「まさに。この例で言えば、人は『そのおカネをどう入手したか』という入手経路の違いによって、おカネの価値に軽重を付ける心理的傾向がある、ということです。おカネに、色を付けて使う、というとわかりやすいかもしれません」

「でも、それって当たり前じゃないですか」
「そう、当たり前のように、おカネに色を付ける、というところが怖いのです。ギャンブルや投資などで得たおカネと、給与や賞与などで得たおカネを、心の中で本能的に区別してしまい、その結果、経済的に非合理的な選択をすることがある、ということを知ってほしいのです。投資の儲けも勤労で得た給料も、カネは、カネ。色はついていないはずです。どちらのお金も合理的かつ計画的に使い道を選択すべきなのですが、心の中で、おカネの色が違って見えれば、大切さも違ってしまいます」

「先生、合理的、合理的と、おっしゃいますが、そもそも、自分のカネじゃないですか。感情によって、使い方が違って何がいけないんですか」
 隆一は、先生の言っていることはわかるが、そこにどんな教訓があるのか、さっぱりわからなかった。

「もちろん、使い方は自由です。でも、給料ならそんな使い方はしないのに、投資で儲かると、普段の節約疲れから解放されようと、高級レストランや高級ホテルあるいはブランド品などにパッーと使ってしまうことがあります。それが本当に自分にとって望ましい行動か、冷静に考える必要があるということです」

「なんか逆です。たまにはパッーと使いたいから投資の勉強をしているんですが、それじゃあ、いけないんですか?」
 隆一は、自分の本音が口をついて出たのを自覚しながらも、訂正をしなかった。