「心の会計」で変わるお金の価値

「ええ、言わんとすることはわかります。ですが、ここは誤解を恐れず話を進めます。君はともかく、少なからず本当に願いをかなえたいというとき、そのためにお参りをする人は、いつもより多めのお賽銭を納めると思います。実は、このような行動を経済学で研究することもあるんです」

「ずいぶん失礼な研究があるもんですね」
 不快であるそぶりを隠さず、隆一は返事をした。

「まあ、賽銭の話は極端な例ですが、先ほどのような行動は『心の会計(Mental Accounting)』と呼ばれるものです。人がおカネに関して何か意思決定をする際には、おカネの損得(費用対効果)という経済合理性にもとづいて判断するのではなく、主観的な感情や習慣にもとづいて判断する、というわけです。人は合理的な簿記会計とは別に、自分の中にいくつかのお財布を持っていて、その主観的な勘定は、心(感情)によって計算される」

「なるほど。それはわかります。飲みにいくときのカネの使い方は確かに、自分の気持ちでずいぶんいい加減になりますしね。人によって納得感とか満足感も違う気もします」
「そうなんです。満足感というのは、損得勘定だけでは測れません。『コト消費』のように心の満足感を満たすために消費は、決して損なことでも、非合理的なことでもありません」

「コト消費ですか」
「たとえば、観光やスポーツや娯楽などの『体験』におカネを使うことです。その意味では、賽銭も心の満足感を得るための対価と考えれば、合理的選択になります。ただ、投資や資産形成をしていく上で覚えておきたいのは、人というのはそのような心理や角度でもお金を使う、ということ。経済学で教えるような合理性だけでおカネの使い方を決めるのではない、ということです」

 内容がわかりにくくなってきたので、隆一はボヤくことにした。
「また経済学ですか。要は、客観的な経済合理性による勘定と、主観的な感情による勘定とは、違うということですか? なんとなく、わかりますが・・・。」

 隆一の「なんとなく」に込められている「わかりにくい説明ですね」という言い分に、先生は、応じることにした。