「個人の安定株主」の功罪

 視点を上場企業の経営者に変えて、株主優待を見ると、相対的に「個人投資家で安定的に株式を保有してくれる株主」を増やす効果がある点が大きな魅力だろう。個人の安定株主が多数いると、常にではないとしても、(1)株式をまとめて売られにくい、(2)企業買収の対象になりにくい、(3)個人株主の方が機関投資家株主よりも経営者に優しい、といった傾向が期待できる。経営者にとって、安心材料だ。この辺りが、株主優待を導入する経営者の本音ではないだろうか。

 経営者が安心することについては、長期的な視野に立った経営が行いやすくなることと、株主によるチェックが甘くなるので経営効率の改善に対するプレッシャーが弱まることの、二つの効果が想定できる。

 企業によって功罪は異なるかもしれないが、投資家一般の立場から見ると、経営者へのプレッシャーが弱まることのデメリットが、大きい場合が多いのではないだろうか。

 仮に、株主優待を行っている企業が、優待を止めると、一時的には優待目当ての株主による株式売却が出て株価が下落するかもしれないが、株価が適正価値に戻った後の経営・業績に対する影響はプラスになるかもしれない。そして、少なくとも、外国人投資家を含む機関投資家から見ると、株主優待廃止でその企業の株式は以前よりも魅力的になる理屈だ。

投資家への影響

 前記のような「べき論」とは異なり、以下の問題は、「好き・嫌い」の議論であるかもしれないが、筆者は、「投資のパフォーマンスが悪い場合でも、株主優待があるからいいと思える」といった、純粋な投資と、優待による精神的な満足とを使い分ける心理が、投資の心構えとして「好きではない」。損をした場合の言い訳を事前に用意するようなやり方では、投資判断が甘くなりそうに思える。

 他方、「だからこそ、株主優待はいいではないか」という逆方向の意見が多数あることも承知している。その点に関して、他人の「好き・嫌い」を訂正しようとまでは思わない。投資家は、自分のお金と責任で投資する限り、好きにしていい。

 筆者の個人的な価値観としては、投資は投資として効率を追求して、そうして得たリターンで、「好きな商品を、好きな時に、好きなだけ」買ったらいいではないか、と思うのである。

 余計なお世話かもしれないが、株主優待で得たものが無駄になったり、他の好ましい消費を圧迫したり、消費生活を歪める原因になるケースもあるのではないだろうか。自分の将来の消費に関する判断を完全に予想することは、案外簡単ではない。「優待がお好きなのは構いませんが、ほどほどがいいのではないでしょうか」と最後に一言申し上げておく。

【コメント】

 株主優待に対してネガティブな意見を述べたこの原稿の再掲載は4回目になる。トウシルでは株主優待の紹介記事は人気だし、楽天証券のお客様にも株主優待の利用者は大変多い。しかし、何度もアンチ優待論を掲載するのは、「正論(かも知れない)なら、人気の株主優待に対してでも反対論の掲載があってもいい」というトウシルのメディアとしての方針からだ(硬骨漢のT編集長の価値観だと言っていい)。

 優待に筆者が反対する理由は「株主を平等に扱わない点が、株主優待の最大の問題点である」という点に尽きる。この論点は、近年世間的にも注目されるようになり、株主優待に対する見直しの動きが出ていることは日本の株式市場にとって喜ばしい。但し、優待が小口の個人投資家を「ひいき」する制度として存在する以上、個人投資家はこれを利用してもいい、という意見も(制度論ではないが)別の正論である。投資家は優待を大手を振って利用していい。

 尚、筆者は「ゲームとしての株式運用」を厳密に楽しみたい趣味だと思っているので、「株価で損をしても、優待があるからまあいいや」というような心のプットオプション付きで臨むような株式投資は「嫌い」である。この点に関しては、純粋に好き・嫌いの問題なので、読者は賛成であっても、反対であってもいい。勿論、筆者個人は優待を鼻で笑って、普通に投資して大いに儲けて、遊園地でも、外食でも、好きな時に本当に好きなものを大らかに楽しむような投資家が増えることを期待している。(2022年11月1日 山崎元)