金融:日本版ビッグバンの功罪。手数料自由化と複雑化した金融商品

 投資家に関係の深い金融ビジネスにとって平成はどのような時代だったか。

 大きな現象は、バブル崩壊に伴う不良債権問題から起こった金融機関の倒産、合併といった業界再編と、日本版金融ビッグバン(1998年に行われた大規模な金融規制緩和)によるビジネスの変化の二つだった。 

 銀行は、大手銀行が経営統合して「大きくて潰せない」メガバンク化を目指す再編を金融当局の後押しの下に進めた一方で、地銀以下の中規模金融機関については、はっきり言って金融行政の手が十分回らなかった。

 日本の銀行界は、銀行ビジネス自体の長期的な付加価値喪失と、金融緩和政策による短期的な収益低迷の効果の両方の効果で、半ば構造不況的な状況にある。長期的な要因については、かつてマイクロ・ソフトのビル・ゲイツ氏が「銀行の機能は将来も必要だが、銀行そのものはなくなっていくのではないか」と述べた言葉にほぼ近いレールの上に乗っている。

 銀行の支店や行員、そして本店についても、急に全てがなくなることはなかろうが、携帯電話が普及した後の固定電話のように減って行くことになろう。銀行行政の「やり残し」の結果である現在の地銀業界を手始めに、平成の次の時代には本格的な苦境に陥る可能性が大きい。

 日本にあっては、大銀行が金融界の中心だった。これに対するチャレンジャーとして可能性を見せたのは、バブル期の野村證券と、90年代の外資系金融機関だったが、野村證券は複数回の不祥事とその後の経営の保守化によって「普通の大きな証券会社」になってしまい、平成を通じて大銀行を脅かす存在ではなくなった。

 通称「小田淵」こと田淵義久元社長が損失補填問題で1991年に国会に呼び出された辺りが分水嶺で、その後の経営がつまらなかったのではないか。少し残念な展開だった。

 外資系金融機関は、アジアの金融の中心地をシンガポール、香港に見定めて、日本市場に対する興味をすっかり低下させてしまった。

 一方、「日本版ビッグバン」は投資家にとって大きな変化だった。

 株式委託売買手数料の一段の自由化、銀行窓口による投資信託や保険販売の解禁、ネット証券の誕生、FX(外国為替証拠金取引)による為替取引の大衆化、個人向けのデリバティブ商品(いわゆる「仕組み商品」)販売の解禁など、様々な変化があった。

 個人にとって意図も結果も良かった変化、意図は悪くなかったけれども必ずしも良い結果をもたらしていない変化、政策意図自体に間違いがあったのではないかという変化など様々だ。

 筆者が一番良かったと思うものと、悪かったと思うものを挙げておこう。

 手前味噌ながらネット証券ができて、投資家が支払う手数料を大幅に下げることができたことは良い変化の筆頭だろう。セールスマンと接触せずに証券・金融取引ができるようになったことのプラス効果も大きい。

 他方、日本版金融ビッグバンで間違えたと思うのは、個人向けの仕組み商品の販売解禁だ。EB(他社株転換付き債券)や仕組預金などは、個人に売れていること自体が個人の商品に対する無理解を証拠立てるような、金融情報弱者を対象とした半ば詐欺的な金融商品であり、個人に販売することが不適当な代物だ。金融消費者からの苦情が多発しているのも已むを得ない。金融監督政策のミスの一つである。

 

予告:「平成資産運用史」について

 平成の30年間は、運用ビジネスに関しても大きな変化がいくつかあった。機関投資家の世界では企業年金に意外に大きな変化があった。個人の資産運用では、他分配型投資信託の隆盛のような残念な変化だと筆者が思うものもあったし、一部にはインデックス・ファンドやETF(上場型投資信託)の普及のような好ましいものもあった。

 また、平成30年に登場したつみたてNISAはインデックス・ファンドの手数料引き下げ競争を喚起する効果があり、リテラシーの高い投資家にとっては喜ばしい変化をもたらした。まだ小さいけれども、良い変化だった。

 また、運用技術の面では、昭和的な証券会社のシナリオ営業から、モダン・ポートフォリオ理論や金融工学の普及、後には行動ファイナンスの応用など、理論・実務両面で変化があったし、運用の業態としても、ヘッジファンド、独立系投信、ロボアドバイザーなど、質に関しては玉石混淆だとしても、それなりの変化があった。

 投資家にとっては興味深いテーマであろうから、平成時代の資産運用については、いずれ稿を改めて少し詳しく書いて見ることにする。ご期待いただきたい。

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