OPECは1960年9月14日、イラクのバグダッドで誕生した

 OPECとは、Organization(組織) of Petroleum(石油) Exporting(輸出) Countries(国々) の頭文字を並べた単語で、「石油輸出国機構」と訳されます。

 1960年(昭和35年)9月14日のことでした。同年9月10日(土)からはじまった“バクダッドでの会合”の最終日の14日(水)。イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国は、OPECを立ち上げました。

 翌1961年1月、ベネズエラのカラカスで行われた会合で、組織の規則が承認されました。以降、何度も規則の改定が行われてきましたが、改定の履歴を見る限り、組織の主な目的が書かれている箇所(Article2)については、ほとんど当時のままです。

組織の主な目的

A組織に加盟する国々の石油に関わる政策を調整し、加盟する国々個々の利益を組織で保護するための最良の手段を決定すること。

B加盟国に及ぶ、有害で不必要な変動要因を排除し、国際石油市場における価格の安定を確保する方法を模索すること。

C常に、消費国へ効率的、経済的かつ定期的に石油を供給し、石油産業に投資している人々に公正な見返りを提供すること。

出所:「OPEC Statute」Organization and Objectives Article 2より、筆者翻訳

 これらの組織の目的から、5カ国の創始者がOPECを創った背景がうかがえます。1番目と2番目(AとB)には、自国で生産された石油は自国のものであり、国際的な石油価格の決定は生産国が関わるものである、という趣旨が記されています。

 これは当時、産油国で生産された石油とその価格を牛耳っていた石油メジャー(国際石油資本)から、自分たちの権利を取り返すことを宣言する内容と言えます。

 3つある組織の主な目的の1番目と2番目にあることから、石油メジャーから権利を奪還し、自らの独立性を保つことが、組織の最優先事項に位置付けられていると言えます。消費国と石油産業に投資をする投資家への配慮は、その次に記されています。

 ペルシャ湾の産油国を含め、資源に国家の収入の大部分を依存する国を、レンティア国家と表現することがあります。レント(rent)は、金利や家賃、地代、使用料などの、労働による収入ではない収入を指します。

 レンティア国家は、その国で生産されるモノ、そのモノから作られた製品、あるいはそれらに関わる権利などによって、継続的に収入を得られる構造になっている国です。創始者らは、このような構図の国と言えます。

 規則の冒頭の組織設立のあらましが書かれている箇所(Article1)には、“恒久的な政府間組織として作成 政府代表者会議の決議に従って”とあり、国家間の枠組みで、取り組むことが明言されています。レンティア国家的な創始者らが、いまから60年前、石油メジャーから自分たちの権利を取り返すことを目指して作ったのが、OPECだったわけです。

 以下より、そのOPECの原油生産量の推移を振り返ってみます。