パレスチナ問題を確認

 古来より、地中海東沿岸(現在のエジプトの北、レバノンの南、シリアとヨルダンの西側一帯)は「パレスチナ」と呼ばれてきました。この地は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地であるエルサレムを擁する、宗教上の要衝でもあります。

図:イスラエル(パレスチナ自治区含む)の位置

出所:各種資料をもとに筆者作成

 およそ2000年前にローマ帝国に滅ぼされるまで、パレスチナにはユダヤ人の国がありました。アラブ人が居を構える以前のことです。

 パレスチナを追われて世界に散り散りになったユダヤ人は、特に欧州で迫害を受けてきました。

 教えを広めようとしたイエス・キリストがユダヤ教の信者と対立して十字架にかけられたとされ、後にこのことが欧州に伝わり、ユダヤ人は「キリストを処刑した人たち」とみなされたことが一因といわれています。

 ユダヤ人たちは、高い識字率を駆使するなどして、金融業などにおいて世界各地で頭角を現しましたが、こうした中にあっても、再び祖国を持ちたい、迫害から逃れたいという思いを強く持ち続けました。

 そして第二次世界大戦後の1947年、国連(国際連合)はナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人に対する歴史上最大とされる迫害)のような悲劇を繰り返さないことも意図し、あのパレスチナの地にユダヤ人国家を樹立することを決めたのでした。

 この地にユダヤ人国家「イスラエル」ができた(1948年)ことを機に、歴史的にこの地に長く住んでいたアラブ人と、およそ2000年ぶりにこの地に国家を樹立したユダヤ人との間で対立が激化しはじめました。