アラブ人の悲劇

 国連決議を経て1948年にイスラエルが誕生しました。同国はユダヤ人とアラブ人それぞれが占有する地域に分割され、全人口のおよそ三分の一のユダヤ人に、半分以上にあたる56%の土地が与えられることとなりました(パレスチナ分割決議。エルサレムは国際管理下に)。

 この地に長く住んでいたアラブ人はこの決議に強く反発しました。イスラエル誕生の翌日(1948年5月15日)、周辺のアラブ諸国(シリア、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプト)がイスラエルに攻め込んで、第一次中東戦争が勃発しました。

 その後も、イスラエル側と同国内のアラブ人および周辺のアラブ諸国との間で数度の戦争や紛争が勃発しました。

 この間、戦局を有利に進めたイスラエル側(ユダヤ人側)は占領地を広げることに成功し(武力による占領地拡大は国際法違反)、同国内でアラブ人が占有する地域はガザ地区(地中海に面するエジプト北部に隣接する地区)と、ヨルダン川西岸(ヨルダン川を挟んでヨルダン西部と隣接する地区)の二カ所のみになりました。

 現在はこの二カ所が「パレスチナ自治区」と呼ばれています。現在のパレスチナは、イスラエルというユダヤ人国家の中にある、パレスチナ人(分割決議前にパレスチナ地域に住んでいたアラブ人を中心とした人たち)が一定の自治権を与えられて住んでいる地域の名前です。

 このうち「ガザ地区」は、「地球上で最も人口密度の高い場所の一つ」といわれるほど人々がひしめき合って暮らしているため、「天井のない監獄」とも呼ばれています。

図:「パレスチナ」の遷移

出所:各種資料をもとに筆者作成  

 その後、1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO:Palestine Liberation Organization)が、米国とノルウェーの仲介により「オスロ合意(イスラエル軍が占領地のヨルダン川西岸やガザ地区から撤退し、パレスチナ側が暫定的な自治を始めること)」を締結し、和平交渉が進む期待が高まりました。

 しかし、2000年にシャロン氏(後のイスラエル首相)がユダヤ教の聖地「嘆きの壁」に隣接するイスラム教の聖地の一つである「岩のドーム」を(ともにエルサレムにある)、警護を受けながら一回りしたことをきっかけに、パレスチナ人の一部が暴徒化し、イスラエル側(ユダヤ人)の警官がそれを鎮圧したことで死傷者が出ました。

 この出来事によって、オスロ合意後に醸成された和平への機運が大きく後退してしまいました。