米・英が与えたはかり知れない影響

 英国は、第一次世界大戦末期の1917年、大戦後にパレスチナ地域にユダヤ人の国家を建設することを認めます(バルフォア宣言)。外相(当時)バルフォアから、欧州の主要地域で活動していたユダヤ系大財閥の当主、ロスチャイルドあての書簡で示されました。

 パレスチナ近辺におけるオスマン帝国との戦いを有利に進めたり、ユダヤ人のパレスチナへの移住とユダヤ人国家の樹立を目指す運動(シオニズム運動)を進めていたロスチャイルド家から資金などの支援を取り付けたりする意図があったとされています。

 その後、英国がパレスチナ委任統治規約に調印して(1922年)シオニズム運動に拍車がかかりました。

 そして、第二次世界大戦時にナチスのホロコーストがユダヤ人移民を急増させたり、大戦後に国家樹立への国際的な世論が形成されたりしたことを受け、1947年に国連決議でユダヤ人国家「イスラエル」の樹立が実現しました(英国にとってもユダヤ人にとってもメリットが大きかった)。

 しかし、英国が行っていたのはこれだけではありませんでした。バルフォア宣言を出すよりも前に、1915年にアラブ人の実力者であるフセインとの間で、戦後にアラビア半島と東アラブ地域にアラブ王国を建国する協定(フセイン・マクマホン協定)を(オスマン帝国との戦いを有利に進める意図あり)、1916年にフランス・ロシアとの間でオスマン帝国の領土を分割することに関わる協定(サイクス・ピコ協定)を、秘密裏に結んでいました。

 こうした「三枚舌」と揶揄(やゆ)される英国の外交手法は、イスラエル建国後から現在まで続くパレスチナ問題の一因といわれています。

 特にパレスチナ地域にユダヤ人国家を建設することを認めたバルフォア宣言と、アラビア半島と東アラブ地域にアラブの王国をつくることを示したフセイン・マクマホン協定は、ユダヤ人とアラブ人双方に「想像以上の期待」を抱かせた可能性があります。

 米国もまた、パレスチナ問題に深く関わっています。以下は、現在のイスラエル(旧パレスチナ地域)におけるユダヤ人・非ユダヤ人の数、国連安保理(国連安全保障理事会)で米国が中東関連の案件で拒否権を発動した件数の推移です。

図:イスラエル/パレスチナのユダヤ人の数と米国が中東関連の議案で拒否権を発動した件数

出所:Jewish Virtual Libraryおよび国際連合のデータをもとに筆者作成

 1947年の「パレスチナ分割決議案」採択から程なくして、非ユダヤ人の数の急減とユダヤ人の数の急増が同時に発生しました。

 先ほどの図「『パレスチナ』の遷移」で示したとおり、イスラエル建国に伴い、同国の面積の半分強がユダヤ人の領域、半分弱がパレスチナ地域に住んでいたアラブ人を中心とした人々の領域となりました。これを機に勃発した第一次中東戦争がきっかけでパレスチナ難民が急増しました。

 パレスチナ難民は、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、ヨルダン、シリア、レバノンなどの周辺のアラブ国家に逃れました(非ユダヤ人急減)。そして住人がいなくなった土地にユダヤ人が住み始めました(ユダヤ人急増)。

 その後、1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)で、ユダヤ人はイスラエルのほぼ全土を掌握しました。そして同戦争の二年後の1969年ごろから、イスラエルへの移民が急増しました。

 旧ソ連(かつてユダヤ人への大規模な迫害があった)、米国・カナダ、フランス、英国、アルゼンチンなどからイスラエルに移る人が急増しました。(Jewish Virtual Libraryのデータより)

 移民の急増が第三次中東戦争で全土を掌握した二年後ごろから、というタイミングを考えれば、戦争→全土掌握→移民開始→ユダヤ人にさらなる恩恵、というシナリオが描かれていた可能性があります。

 戦争をし、領土を広げ、より多くのユダヤ人をパレスチナの地に呼び戻す、という壮大なシナリオです。

 米国が中東関連の国連決議で拒否権を頻発するようになったのもこのころからです。上図の青い縦の棒グラフのとおり、第三次中東戦争後に、米国は中東関連の国連決議で頻繁に拒否権を発動するようになりました。

 例えば、1975年12月5日の決議(S/11898)では、米国は次の内容に対して拒否権を発動していました。

「イスラエルによるレバノンの主権と領土保全の侵害、および安保理決議の違反に起因する状況の悪化を強く懸念する」「イスラエルに対し、レバノンに対するすべての軍事攻撃を直ちに停止するよう求める」

 1980年4月28日の決議(S/13911)では、米国は次の内容に対して拒否権を発動しました。

「イスラエルは、エルサレムを含む1967年6月以降に占領されたすべてのアラブ人の領土から撤退すべきであることを再確認する」「パレスチナ人は、国際連合憲章に従い、その不可侵の民族自決権を行使できるようにすべきである。パレスチナに独立国家を樹立する権利があることも支持する」

 上記の例から、米国の姿勢は強く「ユダヤ人寄り」であることがうかがえます。

 米国の名だたる著名人や世界的企業の多くがユダヤ人と関わりが深いこと、高い識字率を武器に金融業で活躍するユダヤ人が多く、政治・経済・文化の面でユダヤ人が米国にとって大変に重要な存在であることは歴史が物語っています。

 また、先週、ニューヨークの市街地でイスラエルの国旗を掲げて、先に空爆をしかけたガザ地区のハマスを批判するデモを行った米国市民がいました。

 こうした市民の多くは、イスラエルの建国(ユダヤ人国家の再建)を、かつてパレスチナやシリア近辺に存在した古代イスラエル王国の復興と見なしたり、イエスキリスト再臨の暗示だと信じたりしている、キリスト教福音派だとみられます。

 キリスト福音派は国民の四人に一人とも言われていることから、米国ではイスラエル(ユダヤ人)を支持するかどうかが、選挙戦の際、勝つか負けるかに影響を及ぼし得ます。

 振り返ればこの100年強、三枚舌の外交やイスラエル寄りの姿勢などの米国・英国の動きは、パレスチナ問題を大きくした一因だった(一因であり続けた)と言えそうです。