「分からない」と「危ない」の違い

 最近、株価が好調なせいか、雑誌などの媒体のインタビューを受けることが度々あるが、この際に、多くのインタビューアーが「素人が、個別株に投資するなんて、危なくてとてもお勧め出来ないですよね」と言って、これを前提に筆者に質問しようとする。

 しかし、筆者は、「いやいや、それほど危なくないですよ。数銘柄以上に分散投資するなら、手数料の高い投資信託を買ったり、まして保険を買ったりするよりも、遙かに安心ですし、不利になりにくい投資も可能です」と答えるので、多くの場合、質問者が驚く。

 個別銘柄のことはよく分からないし、素人には調べるのが大変だと思い、だから「危ない!」と感じているらしい。

 しかし、前述のように、市場で形成される株価には、はっきりした有利・不利はないし、取引の手数料も小さくて透明なので、個別株への投資は案外恐くないのだ。「市場の公平性」に守られているからだ。

 他方、複雑な投資信託、各種の保険、内外の不動産や事業等への投資話、のような人間が丁寧にセールスに来るような商品・案件への投資は、間に入っている人間に少なくとも手間に見合う以上の実質的な手数料を稼ごうとする意図があるはずだし、それを実現する過程で、提供する情報を歪めたり、顧客の側の無理解や勘違いに期待したりしている可能性が小さくない。人間は意図を持って他人に接する。特にビジネスにあっては、意図が無いことはあり得ない。

 金融の世界では、オープンに価格が形成される「市場のリスク」よりも、意図を持って近づいてくる「人間のリスク」の方が遙かに恐くてたちが悪いというのが、筆者の偽らざる感想だ。