掟その 5:年金受託者は年金資産の価値のためだけにベストを尽くす

 これは、有名な米国のエリサ法で規定されている通称「プルーデントマン・ルール」の言い換えだが、年金運用を受託している年金基金に関わる者は、年金資産の価値を(適切なリスクの下に)最大化する目的のためだけにベストを尽くすべきだ。たとえば、別の目的のために年金資産を流用してはいけない。

 これは、当たり前の原則のようでいて、時に守られないことがある。

 たとえば、社会的責任投資(通称「SRI」)に年金資産を投資することは、運用としてのベストから外れるので、明らかに不適切だ。投資銘柄候補群(ユニバース)を運用のリスク・リターン以外の理由で狭めることは、純粋に運用パフォーマンスを考えると、マイナスだ。これは論理的な結論だ。仮に基金の人間が、武器やタバコをビジネスとすることに憤りを感じるとしても、彼(彼女)の正義感の発露は、「他人のお金」である年金資産でやるのではなく、自分のお金や個人としての行動で発揮すべきなのだ。

 かつて1990年代に行われた、公的年金資金による株価買い支え(通称「PKO:プライス・キーピング・オペレーション」)のような行為が、この掟に反していることは言うまでもない。

掟その 6:余計なコストを払わない

 厳密には運用でベストを尽くすことの範ちゅうに入るが、運用業者やコンサルタントなどに支払う手数料、さらには基金の運営コストは、理由なく余計に支払ってはならない。

 年金運用は、第一義的には、決して基金の担当者自身のために、あるいは、運用会社などの業者のためにあるのではない。

 たとえば、アクティブ運用へのフィー(運用手数料)は、パッシブ運用のそれよりもかなり高い。基金が採用するアクティブ運用がパッシブ運用に勝るという確たる根拠を提示できるのでなければ、基金は、アクティブ運用を採用すべきではない、というのが原則だ。「アクティブ運用の可能性に賭けたい」とか「運用会社を育てたい」といった、基金担当者の自己満足のために、余計なコストを掛けることは控えなければならない。

 しかし、誇り高き年金基金の担当者といえども一個の経済人であり、生身の人間であるから、自分の報酬は多い方がうれしい。また、運用業者などのビジネス相手に大らかな支払いをする方が、気分良く仕事をしやすいのも事実だろう。この掟には、明らかに建前と本音の二次元が存在するが、年金マンは、建前の人の顔で暮らすのが作法だ。