掟その2:年金運用には「ほどほどの保守性」が必要だ

 広い範囲の人々の間で合意ができ、プロセスに対する説明責任を常に果たすことができるようにするためには、年金運用の内容は、多くの人が(さすがに「全ての人」とまでは言えないが)合意できるものでなければならない。従って、多くの人が納得する運用の常識にかなった、ある種の保守性が必要だ。

 年金運用では、有効性が広く認められていなかったり、管理の方法が難しかったりするような、新奇な運用手法・運用商品は採用すべきでない。「新奇」の範囲は、時代により、年金基金の加入者の性質、さらには基金の管理能力によって変化する。

 たとえば、近年、日本の公的年金などで、「新興国株式」に対する投資が解禁されつつある。これは、過去には新興国株式はリスクの大きさや性質について、安全・確実に増やすべき年金積立金での運用に適するか否か議論が割れたものが、今や、新興国企業の株式は「リスクは先進国よりも大きいが、それなりに成長性もあるし、市場自体の厚みもそこそこにあるから、年金の投資対象にしてもいい」といった意見が多数を占めるようになったので、年金運用の対象としてもいい、と理解されるようになったということだろう。

 つまり、年金運用では、ごく少数の人間だけがチャンスを理解しているような先進的な運用対象に投資することに馴染(なじ)まないのだ。

 これは、年金運用に関わる当事者には少し残念なことだが、世間で馴染みがなかったり、投資としての有効性に関して議論が割れたりするような投資対象は、年金の投資対象にすべきではない。社会のデザインとしては、そうしたものへの投資は、お金を出す投資家が直接判断して、納得して投資するような資金でやればいいということで構わない。

 例えば、ベンチャー企業の育成は年金基金の使命として適当なものではない。また、ある種のヘッジファンドへの投資や、プライベートエクイティ投資、インフラへの投資などは、現段階では、たとえば公的年金での投資には馴染まないと考えられるが、これらを社会的に特に惜しむ必要はない。「いい」と判断すれば、年金以外の資金が投資すればいいだけのことだ。