1953(昭和28)年12月25日

奄美群島返還

 1953(昭和28)年12月25日、鹿児島県南方の奄美群島の施政権が米国から日本に返還されました。米国は「日本へのクリスマスプレゼント」として返還を宣言しました。

 第2次世界大戦で、日本が米国を主力とする連合国軍に無条件降伏したのが1945年8月。翌9月に奄美群島は鹿児島県の一部でありながら、沖縄統治のための組織「琉球列島米国民政府」の下に置かれました。

 事実上の米国統治下、本土と引き離された奄美群島では、生活の困窮が深刻でした。このため、住民は1951年から署名活動や絶食して抗議するハンガーストライキを展開し、日本への復帰を強く訴えました。

 1952年4月28日には、日本と連合国との平和条約であるサンフランシスコ講和条約が発効して日本が主権を回復。奄美群島の日本復帰の機運が一段と高まったことを受け、米国は同盟国である日本に配慮して、奄美群島の統治を断念しました。一方、小笠原群島は1968年6月、沖縄は1972年5月まで米国の施政が続きました。
 

1953年12月25日の日経平均株価終値は

397円18銭