実質「ゼロコロナ」見直しへ。習近平が放った鶴の一声

 私自身、年初に配信したレポート「3期目突入か?習近平が懸念する中国の2022年8大リスク」にて、リスク1として新型コロナを挙げました。やはり感染拡大をめぐる問題は、対処法を含め、2022年度の中国政治・経済にとって最大の不確定要素の一つであるという見方を新たにしています。

 2019年12月、湖北省武漢市から新型コロナが広まり2年以上がたちましたが、この期間、中国共産党指導部は、新型コロナを徹底的に抑え込む「ゼロコロナ」政策をもって感染拡大を抑制し、2020年のGDP(国内総生産)でプラス成長(2.2%増)を達成したことを業績として語ってきました。習総書記、李克強(リー・カーチャン)総理などが「コロナ抑制と経済再生で中国は世界をリードしてきた」と公言してきたように、中国はコロナ禍での経済成長をもって、自らの統治体制や発展モデルの優位性を証明しようとしてきたわけです。

 昨今の事態は、そんな「神話」が崩れるかもしれないという予感を国内外に植え付けるものと言えるでしょう。しかしながら、だからといって、2020年1-3月期の武漢市でみられたようなゼロコロナ政策を徹底する時期は過ぎ去りました。

 全人代でも「動態的ゼロコロナ」を強調していましたが、私も本連載で報告してきたように、2022年度の中国のコロナ対策は、「ゼロコロナ」と「ウィズコロナ」のはざまに着地することを目標としています。

 昨年下半期、中国経済は成長率5%以下の低水準で推移しましたが、党指導部はその原因の一つとして、「行き過ぎたコロナ抑止策が供給網や個人消費に打撃を与え、経済全体が疲弊した」(党幹部)と総括し、今年に生かすべき教訓としています。

 そして、教訓を実際の政策に大々的に反映させるべく、ついに習総書記が動き出します。

 習氏は3月17日、最高意思決定機関である中央政治局の常務委員会を招集し、新型コロナの抑制と経済成長に関する重要談話を発表しました。そこで、「最小の代償で最大の抑制効果を実現し、感染症の経済社会の発展への影響を最小限に抑える」必要があると明言。私が知る限り、習氏が中央政治局の会議でコロナ抑制策の経済への影響を最小限に抑えると明言したのは初めてのこと。その目的は「ゼロコロナ」の実質見直し、言葉や目標ではなく、実際の行動や政策として全国各地に浸透させることです。

 習氏の談話を受けて、私が話を聞いた国家発展改革委員会の幹部は、「この日を境に、各地方の首長は、ゼロコロナを維持するだけでは業績を上げたと評価されなくなる。経済成長を意識した感染症対策への転換が必須となった」と語っています。

 この光景をみながら、私は習氏が2012年11月に総書記就任以来、政権の目玉政策として大々的に推し進めてきた反腐敗闘争を想起しました。

 端的に言うと、腐敗による摘発を恐れる全国各地の経済官僚が、積極的、主体的に仕事をしなくなり、集団的に事なかれ主義に陥る中で、「これでは経済が回らない」という懸念を抱いた習氏が、今度は「主体性を持って行動しない幹部も処分する」と指令を出し始めたのです。

 経済官僚にとっては一種のジレンマです。担当地域の経済を動かすためには、地元の企業、例えば不動産デベロッパーなどとある程度「共働」(往々にして結託)する必要がある。ただ、それをやり過ぎれば反腐敗の巻き添いを食らう可能性がある。各地方の首長には微妙なバランス感覚が求められたものです。

 今回も同様でしょう。習氏の鶴の一声により、もはやゼロコロナ達成だけでは評価されません。むしろ、そこに執着しすぎた結果、経済が低迷すればそれはそれで責任を追及されます。

 上記で紹介したように、足元の新型コロナ新規感染者数は高止まりで推移していますが、党指導部や各地の首長は、これらの数字を直視し、感染拡大を抑制すべく全力で動きつつも、常に経済全体への影響を最小限にとどめるという大前提で政策を打ちだすことが常態化していくと私はみています。最高指導者、特に権力を自らに一極集中させている習氏による鶴の一声というのは、方針や景気全体を動かすほどの威力をもっているからです。