子供の教育コスト高に苦しんできた中国人家庭

 ここからは《意見》の中身、およびそれがこのタイミングで出された背景を見ていきましょう。

《意見》のタイトルにもあるように、ポイントは二つ。

 一つ目が、義務教育段階(小中学校)における子供たちの学習負担そのものを軽減すること。二つ目が、学校以外における教育カリキュラム、つまり学習塾での補習負担を軽減すること。中国語で「双減」と称されています。

《意見》公表後、私は、2016~2017年、遼寧省瀋陽市にある遼寧大学で教べんを執っていたころに利用したタクシーの運転手(男性、40代)との会話を思い出しました。

 当時、遼寧省は全国で唯一、経済成長率がマイナスを記録し、景気は悪化していました。タクシー運転手の彼の月収は約2,000元(約3万2,000円)。もうすぐ高校生になる男の子がいますが、子供の塾を含めた課外補講だけで月に1,000元を要し、家計を圧迫していました。それだけではなく、「私が住む学内には良い高校がない。学外の学校に入れるために、5万元の寄付金を用意しなければならない」と途方に暮れていました。約2年分の年収に相当する額。当然、頭を抱えるでしょう。

 私がここでまず指摘したいことは、一部富裕層を除いて、中産階級を含めた中国における絶対多数の家庭はこれまで、子供の教育を重視し、最大限の投資をしつつも、そこに苦しみ、悩んできたという経緯です。

 特に「高考」と呼ばれる大学統一試験は、毎年1,000万人以上が受験します。その中で、例えば北京大学に入学できるのは3,000人程度。この狭き門に入り込むことを目標に、幼少時からありとあらゆる学習塾へ通わせるのが普遍的な現象です。

 一方、需要がバブル化すれば、供給側はいろんなことを考え、あの手この手を使って需要側からお金を取ろうとします。正規の学校教員が、学外で塾講師を務め、学校での給料の10倍以上の報酬を得ていたなんていうのはザラで、教師が学内では真面目に教えず、自分の生徒らを引き連れ、塾のほうで受験に役立つポイントをたたき込むといった具合です。法外な寄付金や説明のつかない賄賂のまん延も言うまでもありません。ただ、子供をよい学校に入れることが、よい人生を送るための唯一無二の進路だと考える親御さんには、他に選択肢がないのです。

 教育という分野が、中国人の人生に特別な意味を持っているからこそ、市場は容易にバブル化し、そこには一定の混乱が生じる。私から見れば、不動産市場同様、教育市場には党・政府が、社会の安定という観点から常ににらみを利かし、臨機応変に規制をかける条件が備わっています。もちろん、その裏返しで、経済成長のためにそこを生かす、そのために規制緩和をするという政策的動機も常に働いています。

 これらの問題を解決するために、例として、《意見》は次のように規定を定めています。

「学校側は小学1、2年生には書面の宿題を課さないこと、3年生から6年生に向けた書面の宿題に関しては、平均時間が60分を超えないこと、中学生は90分を超えないこと」

「オンライン補講は学生の視力を守ることに注力し、1時限30分を超えないこと、時限間の間隔は10分以上空けること、補講は21時には終えること」

「校外学習塾の公益としての属性を堅持し、義務教育段階における費用を政府が指導する管理体制に組み入れること。費用の基準を明確にし、過度な料金設定や度を越えた利益追求行為は断じて抑え込むこと」

 ここで指摘したいのが、《意見》には、「DiDi事件」をめぐる規制同様に、習近平政権の特徴、すなわち、社会の弱者、低中取得者層へ寄り添う政策がにじみ出ているという点です。仮にこの政策が、多数の人民に歓迎されない、世論受けが悪いと事前に判断がついていれば、党・政府はこのような形で国家戦略を公にしたりしません。実際に、大多数の中国人民は今回の《意見》を歓迎しているというのが私の観察です。

 そして、国家戦略という観点からすれば、党指導部には、義務教育の“公共事業化”を通じて家計の負担を減らすことで、少子高齢化の流れに歯止めをかけたいという下心も働いていると見るべきでしょう。

「3人っ子政策」の導入」が始まろうとしている今、この国策が成果を収めるために、生育だけでなく、教育の分野からもアプローチしようとしているのです。「3人っ子政策」の世論受けが芳しくない、多くの家庭が2人目、3人目を産み、育てたくないと考える最大の理由が生活難であり、そこに占める最大のコストの一つが子供の教育であるという背景は、党から人民、政府から民間まで、社会全体のコンセンサスになって久しいです。