教育サービス企業への規制策も国家戦略の一つ

 7月24日、中国共産党中央弁公庁と国務院が、《義務教育段階における子供たちの学習負担と学外研修負担を一層軽減するための意見》(以下「意見」)を発表しました。

 マーケットでもここ数日、「中国の教育サービス企業、規制強化で学習塾事業を切り離しか」「中国、学習塾事業を非営利化-外国からの投資や株式公開も禁止」などと物議を醸しています。

 私は数年前、日本の機関投資家たちと、広東省東莞市にある小中高等学校の睿見教育国際(ウィズダム・エデュケーション・インターナショナル)(6068、香港)を視察したことがあります。

 中国の教育熱は非常に高く、各家庭、子供の教育にはコストや犠牲を惜しまない、全親族の命運を賭けて、次世代に投資をするという風習が根強く、故に教育という分野は、中国の経済成長やマーケットからうまみを享受したい海外の投資家にとっては、魅力的な成長セクターであるという展望を改めて実感しました。実際に、教育セクターはこれまで1,000億ドル(約11兆円)規模にまで発展してきています。そして、中国における教育の現場と海外の投資家をつないできたのが、株式市場にほかなりません。

 党と政府が連名で発表した《意見》は「規制策」と称されるような政策レベルではなく、国家戦略と言える次元の産物です。従って、海外の投資家やチャイナウオッチャーが、《意見》を重く受け止め、今後の中国投資に生かすという動機は極めてまっとうなものだと思います。

子供の教育コスト高に苦しんできた中国人家庭

 ここからは《意見》の中身、およびそれがこのタイミングで出された背景を見ていきましょう。

《意見》のタイトルにもあるように、ポイントは二つ。

 一つ目が、義務教育段階(小中学校)における子供たちの学習負担そのものを軽減すること。二つ目が、学校以外における教育カリキュラム、つまり学習塾での補習負担を軽減すること。中国語で「双減」と称されています。

《意見》公表後、私は、2016~2017年、遼寧省瀋陽市にある遼寧大学で教べんを執っていたころに利用したタクシーの運転手(男性、40代)との会話を思い出しました。

 当時、遼寧省は全国で唯一、経済成長率がマイナスを記録し、景気は悪化していました。タクシー運転手の彼の月収は約2,000元(約3万2,000円)。もうすぐ高校生になる男の子がいますが、子供の塾を含めた課外補講だけで月に1,000元を要し、家計を圧迫していました。それだけではなく、「私が住む学内には良い高校がない。学外の学校に入れるために、5万元の寄付金を用意しなければならない」と途方に暮れていました。約2年分の年収に相当する額。当然、頭を抱えるでしょう。

 私がここでまず指摘したいことは、一部富裕層を除いて、中産階級を含めた中国における絶対多数の家庭はこれまで、子供の教育を重視し、最大限の投資をしつつも、そこに苦しみ、悩んできたという経緯です。

 特に「高考」と呼ばれる大学統一試験は、毎年1,000万人以上が受験します。その中で、例えば北京大学に入学できるのは3,000人程度。この狭き門に入り込むことを目標に、幼少時からありとあらゆる学習塾へ通わせるのが普遍的な現象です。

 一方、需要がバブル化すれば、供給側はいろんなことを考え、あの手この手を使って需要側からお金を取ろうとします。正規の学校教員が、学外で塾講師を務め、学校での給料の10倍以上の報酬を得ていたなんていうのはザラで、教師が学内では真面目に教えず、自分の生徒らを引き連れ、塾のほうで受験に役立つポイントをたたき込むといった具合です。法外な寄付金や説明のつかない賄賂のまん延も言うまでもありません。ただ、子供をよい学校に入れることが、よい人生を送るための唯一無二の進路だと考える親御さんには、他に選択肢がないのです。

 教育という分野が、中国人の人生に特別な意味を持っているからこそ、市場は容易にバブル化し、そこには一定の混乱が生じる。私から見れば、不動産市場同様、教育市場には党・政府が、社会の安定という観点から常ににらみを利かし、臨機応変に規制をかける条件が備わっています。もちろん、その裏返しで、経済成長のためにそこを生かす、そのために規制緩和をするという政策的動機も常に働いています。

 これらの問題を解決するために、例として、《意見》は次のように規定を定めています。

「学校側は小学1、2年生には書面の宿題を課さないこと、3年生から6年生に向けた書面の宿題に関しては、平均時間が60分を超えないこと、中学生は90分を超えないこと」

「オンライン補講は学生の視力を守ることに注力し、1時限30分を超えないこと、時限間の間隔は10分以上空けること、補講は21時には終えること」

「校外学習塾の公益としての属性を堅持し、義務教育段階における費用を政府が指導する管理体制に組み入れること。費用の基準を明確にし、過度な料金設定や度を越えた利益追求行為は断じて抑え込むこと」

 ここで指摘したいのが、《意見》には、「DiDi事件」をめぐる規制同様に、習近平政権の特徴、すなわち、社会の弱者、低中取得者層へ寄り添う政策がにじみ出ているという点です。仮にこの政策が、多数の人民に歓迎されない、世論受けが悪いと事前に判断がついていれば、党・政府はこのような形で国家戦略を公にしたりしません。実際に、大多数の中国人民は今回の《意見》を歓迎しているというのが私の観察です。

 そして、国家戦略という観点からすれば、党指導部には、義務教育の“公共事業化”を通じて家計の負担を減らすことで、少子高齢化の流れに歯止めをかけたいという下心も働いていると見るべきでしょう。

「3人っ子政策」の導入」が始まろうとしている今、この国策が成果を収めるために、生育だけでなく、教育の分野からもアプローチしようとしているのです。「3人っ子政策」の世論受けが芳しくない、多くの家庭が2人目、3人目を産み、育てたくないと考える最大の理由が生活難であり、そこに占める最大のコストの一つが子供の教育であるという背景は、党から人民、政府から民間まで、社会全体のコンセンサスになって久しいです。

家庭や子供の負担軽減と学習塾の非営利化、上場禁止に何の関係があるのか?

 上記の背景を受けて、党・政府が、家計の負担軽減、少子高齢化対策という観点から《意見》を出したことに一定の正当性があるとして、「それと学習塾の上場禁止と何の関係があるのか?」「非営利化する必要があるのか?」といった疑問は依然として残ります。

《意見》は次のように規定しています。

「各地方政府は、新たに設立される義務教育段階の学生向けの学習塾を批准せず、既存の学習塾に関しては、一律に非営利機構と登記する。オンライン学習塾は許可制とする」

「学習塾は一律に上場による融資をしてはならず、資本化運営を厳しく禁止する」

「上場企業は株式市場を通じて学習塾に投融資を行ってはならない。株式発行や現金支払いによって学習塾の資産を買ってはならない。外資は買収や委託経営、フランチャイズ、VIE(変動持ち分事業体)といった方法を通じて学習塾の株式を持ったり、押さえたりしてはならない」

 株式市場に参画する機関投資家や中国の教育ビジネスに関心のある海外実業家からすれば、ショッキングな内容になっていると言わざるを得ません。

 関連銘柄の動きを見ると、7月26日(月)、香港に上場する新東方教育科技集団(9901、香港)は47%安と、終値ベースで上場後最大の下げを記録。同日、香港上場の中国本土銘柄から成るハンセン中国企業株(H株)指数は4.9%下がっています。経済の持続的成長にもつながる教育という成長株、注目株を、党・政府はなぜ規制しようとするのか。

 私の分析によれば、ここにも習近平政権の特徴が見て取れます。要するに、市場経済や改革開放をうたった鄧小平(ダン・シャオピン)の時代にはじまり、その後の江沢民(ジャン・ザーミン)、胡錦涛(フー・ジンタオ)の時代にかけて、限定的かつ「中国特色」とはいえ、一種の自由放任主義がはびこり、資本の力を武器に急成長を続ける企業、特に上場企業が施すビジネスやサービスに国内の消費者がついていけず、相当程度の混乱や不安を招いている、故にそこに一定程度のメスを入れたということでしょう。私の見方では、党指導部に「規制」という自覚は毛頭なく、ルールの構築や法制度の整備を通じて市場の秩序と安定的発展を実現するという認識を保持しています。

 中国の指導者にとって、最も重要なことは、14億の人口を食わせていくことにほかなりません。当局と企業は人民を間に挟んでつながっているのです。党・政府は、14億という巨大な船が沈んでしまわないように、アクセルとブレーキを慎重に踏みながら、常時方向調整、軌道修正をしながら、前に進んでいくしかない。そのためには、時には一歩下がってみて、機が熟した際に2歩進むことも必要ということなのでしょう。

 習総書記率いる共産党指導部は、中国経済を持続的に成長させるために、今回の「規制策」を出し、国民の関心度、関与度が極めて高い教育サービス事業を長い目で育てていこうと考えているのでしょう。それが功を奏すのか否かは、今後の展開を見ていかないと分かりません。

 最後に一言付け加えれば、中国では「上に政策あれば、下に対策あり」が常識です。

 党・政府による政策をただ黙って受け入れるほど中国人はお人よしではありません。彼らは非常にしたたかで、適応力や行動力に優れています。

 今回の《意見》が自らの事業に一定の打撃を与えるのは避けられないものの、教育サービス企業は、小中学生向け学習事業を手放す;高校生向けのサービスを充実させる;オンラインを生かす;あるいは「教育」の範ちゅうに入る他のサービスや事業を開発するなどして、この難局を乗り切ろうとするのではないでしょうか。