実は東京は3度、夏季五輪の開催国になっていた。

 近代五輪と言われる大会の第1回は1896年にアテネ(ギリシャ)で開催されました。今回の東京大会は32回目で、1回目から今回までの間に、3度、いずれも戦争に関わる事情で中止となった大会がありました。

 夏季五輪と東京の関係は以下のとおりです。IOCが東京を開催地と決定したのは、今回が3度目でした。1度目となった第13回大会は、同時に立候補したローマが、東京が立候補したことを知ったムッソリーニの意向で、立候補を取りやめ、ベルリンで開催された総会で、東京で開催することが決まったと、IOCの資料に書かれています。

図:夏季五輪と東京

出所:IOC(International Olympic Committee)の資料をもとに筆者作成

 五輪を開催したくば、日清戦争を収束させるよう、IOCが日本に最後通告したものの、収束は果たされず、IOCはヘルシンキに開催権を付与したと、書かれています。しかし、その後、ドイツがスカンジナビア半島に侵攻したため、第13回大会は中止となりました。

 次に夏季五輪に東京が名乗りを上げたのは、1960年の第17回のローマ大会でした。しかし、東京は候補地の最終選考に残ることはできませんでした。そして翌大会である第18回大会に、再び名乗りを上げ、1959年にミュンヘンで行われたIOC総会で、デトロイト、ウィーン、ブリュッセルを退け、開催地となりました。

 そして今回、東京はイスタンブールとマドリードを退け、2013年に第32回大会の開催地となりました。

 IOCの資料からは、同じ候補地が何度も立候補したり(東京のように)、同時に国内の複数の都市が立候補したり(1948年の第14回大会で、ボルチモア、ロサンゼルス、ミネアポリス、フィラデルフィアの5つの米国の都市が立候補。実際はロンドンで行われた)、近年、立候補する都市の数が少なくなっていることなどが、わかります。

 特に1945年の第二次世界大戦終了後、各国は、国威発揚の他、高い技術を知らしめたり、多数のメディアを呼び込んで自国をアピールしたりするなど、さまざまな目的で立候補してきました。1964年の第13回東京大会では、米国のメディアがはじめてスローモーションで映像を撮影したり、赤道上に制止させる衛星を使って大会の模様を中継したりした、とされています。

 この衛星が、東京大会で使用したあと、当時戦時下にあったベトナムとの通信に用いられたとNASA(アメリカ航空宇宙局)の資料に書かれていることから、五輪は技術をお披露目する場であり、同時に、それを実験する場でもあると言えそうです。

 次は、選手数、参加国・地域数、競技・種目数、開催日数のデータに注目します。