疑うべき7つの「運用常識」

【疑うべき運用常識1】お金の運用にあっては、運用の「目的」を明確に意識すべきだ

 家の購入資金なのか、老後の備えなのか、インフレヘッジなのか、お金の運用にあたっては、その目的をしっかり考えて、明確にしておくべきだ、という話をよく聞く。FP(ファイナンシャルプランナー)の相談でも、相談者の将来の夢を言語化させることがよくあるようだし、これを金融サービスの話法として体系化したのが近年米国のプライベートバンクの世界で流行っている「ゴール・ベースド・アプローチ」(顧客の人生のゴール:目標に応じた金融サービスを提供する話法)だ。

 しかし、こうした話は怪しくないか。

 そもそも、誰でも、お金の運用の目的は、「お金を増やすこと」に決まっている。これこそが、お金の運用の第一目的であり、そこに将来の資金使途や、まして人生への思いなどが絡む必要はない。

 例えば、「将来のインフレに備えるために資産運用が必要だ」とは、運用業界でよく使われる台詞だが、運用でインフレよりも儲かったとして困る人はいないし、逆に、自分が取る事の出来る範囲のリスクで最善の運用を行っても将来のインフレに負けるのだとすれば、生活を縮小するなり、将来の稼ぎを増やす努力をするまでのことだ。

「将来のインフレ」と並ぶ運用業界の二大商材のもう一方の雄である「老後不安」にしても同じ事だ。予定した老後の生活費以上に運用で儲かれば、贅沢するなり、相続するなり、寄付するなりすればいいだけのことで、誰も困らない。逆に、運用の努力では希望する生活費を賄う資産を作ることができそうにない場合、現役時代の生活を切り詰めるなり、老後にも働くなり、運用以外の何らかの行動が必要になるだけだ。

 人は、その時にある資産で、その時に可能なリスクの範囲で、可能な限り効率よくお金を増やしたらいい。ただそれだけの事ではないだろうか。

 正直に言うと、筆者の場合、適切なお金の運用法が将来の目的と関係無いということが、すっきりと分かるようになったのは、近年になってからだ。