「市場は正しい」のか

 最も強力な「市場の声」は市場価格の動きそのものです。

 ピュアな経済理論では、市場はその時その時に存在するあらゆる情報を全て織り込んで、価格を形成していると考えます。

 テクニカル分析者は、市場の価格は全ての情報を織り込んでいるのだから、相場は価格自体を分析すればよいと考えます(先述の経済理論はテクニカル分析の有効性を否定しますが)。

 金融業界では、相場予想を外した部下に、ベテランが「どんな予想をもっともらしく語ろうが、最終的な評価は儲かったかどうかに尽きる」として、「正しいのは常に市場だ」と諭す光景を、これまで幾度となく目にしたものです。

 市場の完全情報を前提とする経済学者、市場価格だけ分析すればよいとするテクニカル分析者、市場こそが全てという信念の実務者などさまざまな次元で、市場で形成される価格が人智を超えた至高の地位に奉られているかのようです。

 しかし相場は、市場に売買ニーズを持ち込む人々によって形成され、人間は完全情報に程遠い存在であることは明らかです。過去の相場展開の中で作られた売買ポジションが、後の値動きを制約することは、テクニカル分析で観察されますし、多数のテクニカル分析の利用者が自らの行動で起こす「自己実現相場」もあります。「相場こそ正しい」とする実務者の信念は、相場に臨む姿勢の問題であり、値動きのメカニズムとは無関係です。

 私は1995年に著作『マーケットはなぜ間違えるのか』(東洋経済新報社刊)において、情報と人間行動のかかわりから、相場形成の歪みを考察しています。このアプローチの一端から、昨今の相場を考えます。

相場は自らを正当化する

「市場こそが正しい」とする通念は強力です。何らかのニュースか、投機筋が仕掛けた売買がきっかけか、相場が動くこと自体を「市場の声」として、人々は真意を探ろうとします。しかし、その解釈の正しさを証明するのは相場それ自体になりがちです。

 例として、円安の日には、報道記者はなぜ円安になったのかを市場の専門家に問い、専門家は円安要因を説明します。市場に円高要因、円安要因が混在していても、ここでは円安の背景として円安に沿ったリスクオン要因が語られがちです。

 そして何日か円安が続くと、報道も専門家の話もリスクオンに傾いてしまいます。円の売り手の人たちは、自らの洞察の確かさに自信を持ち、円安論を一層強調します。逆に円買いの人がリスクオフ(円高)要因を語ろうものなら、「相場観が全くなっちゃいない」と片づけられるのがオチでしょう。円安が進むほど、市場では円安論が補強され、相場は自らを正当化します。

 もっとも、相場がただ一方向に進むことはありません。円安が続き、リスクオン機運がまん延し、投機筋がほぼほぼ円売りポジションを抱え込むと、新規の円売りが細ってきます。円安相場の勢いが鈍ると、焦(じ)れた一部円売り派が利食いの買い戻しをし、相場が反転すると、慌てて買い戻す人が追随し、円高への揺り戻しが起こります。

 ここでも、報道記者はなぜ円高になったかを専門家に問い、リスクオフの円高要因が見直され始めます。要は、市場で優勢な予測情報の多くは、予測ではなく「相場の今」を語るものになりがちです。市場は常に全ての情報をバランスよく織り込むというより、円安と円高を繰り返す中で、強気と弱気の情報を時間差で処理するイメージです。

 専門家の「良い予想」があっさり外れる理由もここにあります。円安が続き、多くの人が円安予想に得心し、円売りポジションを大量に作るほど、円高を招く力が増すのです。