遅かれ早かれ、日本企業は現在眠っている巨額の余剰資金を将来のグローバル競争に勝つために活用

「日本」株式会社は極めて裕福な状態である。実際、東証上場企業の現金保有高は先ごろ世界記録を更新し、GDP(国内総生産)の140%超に達している。これは米国企業の対GDP比43%である現金保有高の3倍以上に相当する。さらに重要なのは、過去10年間にわたって日本企業の手元資金がGDPを超えるペースで増加している点である。この巨額の手元資金が今後どのように、あるいはそもそも活用、投資されるかが日本の成長と繁栄のカギとなろう。

 前向きに見れば、余剰資金は歓迎すべき問題と言ってもよいだろう。たしかに、手元資金が潤沢な上場企業が利益を銀行に預ける代わりに経済活動に再投資していれば、ここ10年で日本のGDPは倍増したはずだと批判することはできる。しかし、実際のところ「日本」株式会社は好業績を続け、経営姿勢は極めて合理的である。積み上がった膨大な手元資金は「日本」株式会社をこの先大きく成長させる武器である。遅かれ早かれ、現在眠っている余剰資金は将来のグローバル競争に勝つため利用されることになる。

 一方、政治家はというと余剰資金を投資や賃金に回していないとして企業に批判の目を向け始めている。これは尤もなようにも聞こえるが、残念ながらこういった発言は企業のリーダーシップやスチュワードシップの質を問うのではなく、グローバルな市場経済に対する政治家の不安を露呈している場合が多い。なぜだろうか?上場企業、すなわち膨大な余剰資金を有する企業は規模が大きく、グローバルに事業を展開している。そして従業員、サプライヤ、株主、地域社会といった多種多様なステークホルダー(利害関係者)の利益のために最善を尽くすことを使命と考えているが、こうした点が見落とされているからである。

 あえて言うと、最近になってコーポレート・ガバナンスやキャピタル・スチュワードシップ・コードを導入したことで、多様なステークホルダーに対する企業の説明責任は大幅に強化されている。米国や中国の競合他社と同じく、「日本」株式会社のリーダー達は費用対効果を考慮して余剰資金の配分を決定している。私見だが、日本企業のトップは多様なステークホルダーを満足させる点で完璧とも言える成果を上げている。政治家が、活用されていない企業の資金を自身の政策のために使いたいのであれば、まずは政治家自身がクリエイティブで積極的な姿勢に転じるべきであろう。

 賃上げを求める政治家は、企業経営者は様々なステークホルダーに対し、できる限り少ない利益を配分するという自由で開かれた経済の鉄則のひとつを見落としている。仮に、わずか1%の賃上げで従業員の離職や意欲減退を防ぐことができれば、経営陣はそうするであろうし、またそうするべきである。同様に、増配の幅を最小限に抑えても、投資家の関心を失わず、株価下落を招くこともないのであれば、そうするべきなのである。

「日本」株式会社の積み上がった余剰資金は政治家、従業員、株主、あるいは資産保有者の声がいずれも弱いことに原因があるのは確かだ。日本に比べて、米国ではキャピタルゲインの向上を求める投資家の声がはるかに影響力を持っている。またドイツでは、労働組合が世界最高の賃金契約を要求して会社の余剰資金を絶えず最低限に抑えることに成功している。企業はルールならびに多様なステークホルダーからの要求に応じて活動しており、国によって仕組みはさまざまである。

 こうして見ると、日本の政治家には重要な役割を果たす余地がある。企業はルールに従うが、ルールを作るのは政治家である。民間企業が生み出す富をめぐって競争を繰り広げるすべてのステークホルダーを統制し、影響を与えることができるのは政治家だけである。端的に言おう。「チーム安倍」が本気で賃金の3%引き上げを求めるのであれば、労働法規を改正して、人材への投資を出し惜しんでいると、従業員は離職し、高い給与やキャリア開発の機会、より良いワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を提供する他社へ移ってしまうことを企業に実感させる必要がある。

 こうした点を考慮すると、雇用条件全般、特に長時間労働に対して政府主導でルールを厳格化するという安倍政権の方針は理にかなっていると考える。ただ、いわゆる「働き方改革」が提唱する新たなルールや改正規制の多くはつまるところ処罰あるいは防止措置である。つまりムチはあってもアメはない。安倍政権は、企業に人的資本への投資を促す前向きなインセンティブの構築に注力すべきであろう。たとえば、広い意味での従業員教育、具体的には電子機器の操作技術や英語力強化への投資を促すインセンティブを高める余地はかなりある。

 この面で、日本企業が有する膨大な余剰資金は政治家に革新的な手法を編み出し、新たな分野を切り開く機会を提供している。従来、政策インセンティブの中心となるのは税率引き下げや税控除だった。一例として、従業員教育への政策支援が認められれば、承認されたプログラムにかかった費用は税優遇措置を受けられる。ここに来て、過去最高のキャッシュバランスが新たなツールを提供している。手元資金の一定額を従業員教育の拡充に当てなければ課税すると定めれば、望ましい投資が行われるようになるだろう。つまり、アメがいらないというなら得るのはムチということだ。

 当然なことだが、こうした手段は公共政策支援に値するとみなされたあらゆるプロジェクトや投資案件にも適用することができる。投資対象が人的資本であろうと生産資本であろうと、過剰な内部留保に課税するという措置により、誰もが満足できる経済構造を創造することが可能である。企業は過剰流動性を取り崩すだけで将来に備えた投資を行うインセンティブを得る。投資を受ける側は収入と新たな挑戦機会を手にし、財務省は税収減を心配しなくてすむというわけだ。企業の眠っているキャッシュを活用することで、新たな収入や消費、さらには投資が生まれて、これまでにない経済の成長サイクルが始まり、実際のところ税収全体は増加していく。

 過去最高額に積み上がった企業の内部留保の活用は、日本株に対する構造的な強気スタンスを強化する側面もある。次に世界的な経済不況が起こった際、日本企業が国内外で投資やM&A(企業の合併・買収)に資金を投入する新たなブームが起こると筆者は予想している。また、十分な資金が緩衝材となって人的・生産資本への投資と足並みを揃えてスチュワードシップも着実に進展していくと考える。今ある膨大な余剰資金を利用すれば、将来的に通常の景気サイクルに左右されない力をつけることができるだろう。

2017年11月6日 記

 

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