情報格差が埋まり、情報におけるマーケットの不平等が解消

 ジョン・ランディス監督の映画「大逆転」では、まだIT(情報技術)が発達する前の米国で、主人公は、USDA(米農務省)が公表する冷凍オレンジジュースの統計を違法な手段で入手し、それを元手に取引をして他のトレーダーを出し抜こうとします(統計のレポート(紙)が入ったアタッシェケースを人気のないところでこっそり開けるシーンが印象的です)。

 また、筆者の知り合いのトレーダーが興味深いことを言っていました。10年ほど前、まだ日本では珍しかったコモディティのCFD取引(FXと同様、レバレッジをかけて金や原油の取引ができる差金決済取引)が、個人投資家の間に広がり始めたときのことです。

 彼に、個人投資家が携帯電話(スマホではない)で海外市場の「リアルタイムの価格推移」を確認できるようになったと伝えたところ、「これで僕らと一般人が同じ(立場)になりましたよ」と言っていました。情報の格差がなくなった、トレーダーに情報の優位性がなくなったことを彼は言っていたのだと思います。

 ごく一部の人間が知る、価格動向に大きな影響をあたえる情報を事前に入手できれば、相場で勝てる時代があったのです。たった十数ページの紙、一般人が入手できないリアルタイムの価格情報が莫大な富を生んでいた、知る者と知らざる者の情報格差が大きかった時代です。

情報の正確さも公平に。人は以前よりも一喜一憂しなくなった。

 インターネットが普及する以前の、とある日本の金融機関では、早朝出勤したスタッフが、夜に行われた海外市場の価格推移や値動きの要因のトピックを紙で社員に配る、あるいは当番制で一人のスタッフが朝礼で大きな声で述べ、情報共有していたそうです。

 また、別の会社では、営業フロアの壁に大きなスピーカーが設置されており、そこから通信社が配信する情報が逐一流れていたといいます。

 当番のスタッフが配る紙、発言、スピーカーから流れてくる通信社の情報が、その場にいた人たちの貴重な情報源だったわけです。その場にいた人たちはその情報に信頼を寄せ、その情報に一喜一憂したと言われています。

 “一喜一憂”は盲目的に情報を信頼することで生まれやすくなります。特定の会社でなくても、インターネットがない時代、発生と報道に時差が生じやすいテレビと新聞が主な情報源で、かつ入手できる情報量が限られていた時代は、情報の受け手が情報を盲信し、一喜一憂することが少なくなかったと考えられます。

 情報格差が大きく、情報の受け手が限られた情報を信頼して一喜一憂が起きていた時代、一つ一つの情報は、社会に与える影響度は今よりも大きかった、つまり情報はサプライズ感を持っていた、と言えると思います。

 しかし、このような状況は、時代が望んだ情報量の増加とIT(情報技術)の進歩によって、現在は、ほとんどなくなったと筆者は感じています。

 このような、情報が持つサプライズ感の変化が、“有事”が起きても以前のように金価格が上昇しなくなった、要因の一つになっていると思います。