昭和の始まりは混乱から。金融恐慌と5大銀行

 平成はバブル経済の絶頂から始まりましたが、昭和は混乱から始まりました。

 昭和という元号制定の経緯については、長らく真相が究明されていない逸話があります。大正15年(1926年)12月25日に大正天皇が崩御された直後に、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が号外・朝刊で新元号は「光文」というスクープ報道をしました。ところが、同日午前11時頃に宮内庁が発表した元号は「昭和」です。

 これが誤報だったのか、情報が漏れたことで急遽、元号を差し替えたのかについては、関係者の証言に食い違いがあり、議論の決着は未だについていないようです。昭和から平成への改元でもマスコミ各社はスクープに躍起になっていました。今回の改元でも、菅官房長官がマスコミのリークをけん制する発言をしていましたし、知られざるドラマがあったのかもしれません。

 さて、昭和という元号をめぐるちょっとした混乱について述べましたが、本当の混乱は翌年の昭和2年(1927年)に起こります。東京渡辺銀行の資金繰りが悪化したという一報を聞いた大蔵大臣・片岡直温が、3月14日の衆議院予算総会において、東京渡辺銀行が破綻したと誤った発言をします。この「片岡失言」を契機に、翌日、東京渡辺銀行などが休業。昭和金融恐慌が始まります。

 昭和金融恐慌は、第一次世界大戦の特需が剥落した後の不況と大正12年(1923年)9月1日に起こった関東大震災によるダメージ、そして、不良債権の増加が背景にありました。日本銀行による特別融資や、金銭債務の支払い延期及び手形の保存行為の期間延長に関する件(いわゆるモラトリアム)が公布・施行されましたが、多くの企業・金融機関が倒産しました。輸出が不振だったことも、拍車をかけたようです。

 良くも悪くも、恐慌による企業倒産の後は、生き残った企業への集中・寡占化が進む傾向があります。銀行も例外ではなく、翌1928年(昭和3年)の銀行法施行も手伝って、多くの中小銀行が整理され集約が進みます。5大銀行(三井・三菱・安田・住友・第一)の優位が確立した時期でもあります。また、郵便貯金の残高も大幅に増加しました。