「いつも」の裏に大規模な負の出来事

 この場合の「いつも」は、「わりと」「ちょくちょく」「よく」のように出現頻度が高いことを強調する時に用いられる言葉です。頻繁であるというイメージを作り出した上で、話を盛って聞き手にインパクトを与える、大げさに表現して耳目を引く、聞き手を誘導する時などに用いられます。

 こうした言葉が盛り込まれた会話にはデータが盛り込まれていない場合があることに気を付けなければなりません。

 なぜ、このような言葉が広く使われているのでしょうか。共感を得るのに都合が良いからだと筆者は考えています。「いつも」と聞くと、本当にいつもなのだと思う人は少なからずいるでしょう。

 いつもではないにせよ、高い頻度でそれが起きると感じる人はさらに多くなるでしょう。頻度は聞き手次第であるものの、「いつも」と聞くと聞き手の頭の中では発言者の意図通り「起きやすい」というイメージが固まります。

「いつも」を口にする人と、その発言を「起きやすい」と受け取る人をつないでいるのは、過去に小頻度で発生した大規模な負の出来事です。反対の意味を持つ正の出来事は、幸せ、うれしい、楽しい、おいしい、暖かい、心地よいなどを増幅させた出来事です。負の出来事は、これらの逆の要素を増幅させた出来事です。

図「いつも」が浸透する背景

出所:筆者作成

 人間は元来、正の出来事よりも負の出来事に心と頭を奪われる性質を持っているといわれています。このため大規模な負の出来事が起きると、その出来事がそれを目の当たりにした多くの人の心と頭に強く、深く刻み込まれ、それらの人のあいだで暗黙の共通の認識が出来上がります。

 こうした状況の中で誰かが当該出来事について「いつも」と口にすると、暗黙の認識が顕在化して多くの人が共感を示すようになります。