職業人生では分散と集中の加減が難しい

 さて、ポートフォリオの運用では、どうするべきなのか結論は明快なのだが、話が理屈っぽい。少し、視野を広げて、職業人生について考えてみよう。

 多くの人にとって、職業は投資と同様にお金を得るための手段だし、たぶん、投資以上に重要な手段だ。そして、投資とよく似ている。どちらも成果を得るためには時間がかかるし、将来得られる結果にはリスクを伴う。

 ただし、職業には、一つ投資と大きくことなる性格がある。

 それは、職業には、集中や長期間にわたることによる「習熟」の要素があるからだ。

 株式投資にたとえると、分散投資の一部として小さなウェイトで持つよりも集中投資して持つほうが、リターンが高くなる株式があると想像すると、職業選択の問題の複雑さが分かる。加えて、長く同じ職業に関わることで、経験やスキルが増す効果もある。

 他方、ある職業や、勤務先の会社などが、すっかり廃れてしまうリスクもあるし、業種や会社は順調でも、自分がリストラされるようなリスクは、投資銘柄にリスクがあるのと同様の形で存在している。人生でも、「リターンが同じならリスクは小さい方がいい」、「無駄なリスクは避けたい」といった価値判断は同じだろう。

 さらに判断を難しくしているのは、職業スキルの経済価値が「生産性に比例」する場合だけでなく、「生産性の順位の差に依存」する場合が多いことだ。

 例えば、プロ野球で2割7分の打率の打者と、3割を打てる打者との間には、安打の生産性は10%の差しか無くても、年俸には何倍も差がつくだろうし、前者は他に何か取り柄(守備がすばらしいとか、足が速いとか)が無ければ、プロとして生き残ることが難しいかもしれない。また、3割打てる打者も、同じチームの同じポジションに3割1分打つ選手がいると、レギュラーにはなれないかもしれない。

 通常の事務職のビジネスマンにも、こうした小さな差が、大きな報酬の差につながるような仕組みが働く場合がある。役員になれるかどうかは、微妙な能力差と、上位者の好き嫌いなどに起因する。芸能・芸術のような職業でも、売れるか・売れないかを分かつ実力差は「紙一重」である場合が少なくない。その差が「食える」か「食えない」かの差になるとすると、一つの分野に集中して相対的に勝つことの重要性が分かる。

 こうした競争構造を考えると、一つの職業、一つの会社に、集中的に自分の時間と努力を投入することの生産性の高さを十分考慮しなければならない。どのような仕事でも、一分野の圧倒的な一番の収益性は高い。しかし、一番になれない場合に、一番との差も大きい。

 一方、職業にはリスクが存在するので、他の職業、他の勤め先、他の収入源などに、「分散」を図ることができることにメリットはある。

 職業人生のゲームは、金融資産ポートフォリオの運用のように簡単な理屈で一つの正解を導くことができるゲームよりも多分難しくできている。

 上手いやり方や「定石」があれば、筆者自身が教えて欲しいくらいのものだが、おそらくは、一つのスキルに集中して自分の選択分野における相対的な順位を上げることの有効性と、自分の顧客(自分を雇ってくれる会社は自分にとっての「顧客」である)を分散して、自分の経済的なリスクを低減させることの組み合わせが、「効率の良い職業人生戦略」の一つの方向性となるだろう。

 もっと具体的に言うと、一つのスキルに集中して相対的な差を得る一方で、そのスキルを多方面に売って、収入源を分散するのだ。「副業」あるいは「複業」を行うことが、分散の有力手段だ。

「副業」あるいは「複業」を直ちに行わなくとも、いつでも行えるように用意しておくこともリスクの回避手段になる。

 昨今の「働き方改革」の流れや、きっかけは新型コロナウイルスの感染拡大だったが、「テレワーク」の普及などは、個人が複数の収入源を持ってリスク分散することを容易にしているように思う。

 現状は、多くの人にとって人生の投資効率を改善するチャンスだ。

【コメント】

 「分散」について語っているが、内容が2つに分かれている。

 投資における分散は、投資家が出来るポートフォリオの改善行為として逃せないテクニックだが、あくまでもポートフォリオの中での対象の分散に意味があるのであって、売買を分割する「時間分散」と称するような行為には投資行動としては意味が無いことを知っておいて欲しい。しかし、率直に言って、この点を理解している人は案外少ない。

 職業人生における分散と集中は、原稿を書いてみたものの、問題設定自体が難しかった。集中による質の改善が生産性や競争力につながることを考えると、「自分が提供するサービスのスキルに関しては集中を活かし、サービスの顧客やスキルの使い方に関しては分散を活かす」のが有効だということは無難に言えそうだ。これ以外にも言える事がありそうなので、改めて考えてみたいテーマである。(2023年11月7日 山崎元)