中国経済はどこへ向かうのか?
李克強元首相の死去を受けて、中国の改革開放や市場経済が後退するといった分析が一部コメンテーターの間でなされているようです。
「改革派」「市場派」の死によって、市場の論理よりも政治の論理、民間企業よりも国有企業、経済成長よりも国家安全、市場開放よりも規制強化を重視する習近平氏の経済政策への掌握と統制はさらに強まる、と同時に、改革と市場の重要性を習氏に説く人間がいなくなってしまうという類の理由・根拠を挙げているように見受けられます。
私の考えによれば、この手の指摘は3期目入りした習近平氏率いる共産党政治の実態を反映していません。理由は3つ。
- 特に2期目入り以降、権力や権限が習近平氏に一極集中し、国家安全保障が経済や外交に被さるようになって以来、「市場派」「改革派」といった派閥・勢力は実際存在しなくなっており、仮に現役時代の李克強氏がそう考えていたとしても、実際の政策として機能することはなくなっていたこと。
- そもそも、強権を振りかざす習近平氏を含め、自らを「非市場派」「非改革派」だとは自認しておらず、李克強氏、あるいは副首相として仕えたマクロ経済の専門家である劉鶴氏を含め、共産党が「集団的」に決定した方針、政策を理論武装し、政権として一致団結して実行することに徹していたこと。
- 今年3月で政界を完全引退した李克強氏に、そもそも現役たちの行う政治に介入、干渉する意思は毛頭なく、経済に関する自らの見解を主張するにしても、それは北京大学の教室内とか、経済学者との意見交換といった場面に限定されること。
要するに、3期目入りした習近平政権の経済政策は、李克強元首相の死とは実質的に無関係ということです。むしろ、習氏に一定の権限を委ねられている李強首相や、経済政策を担う他の国務院指導層たちの動向、例えば、政府として市場・企業関係者とどういう対話、連携を行っていくか、といった要素の方がよほど影響は強いと言えます。
もちろん、中国経済と世界経済は密接につながっており、健全で透明性のある知的対話・交流が、一国経済の印象や評価を向上させることは万国共通と言えます。その意味で、李克強という、西側の理論や思想に精通した、首相経験者である経済の専門家を失った事実は、国際社会と中国が建設的な相互対話を展開していく上では、大きな損失と言えるでしょう。