李克強元首相が心臓発作で急死

 10月27日未明、李克強元首相(国務院総理)が死去しました。突然の訃報に、私も我が目を疑いました。新華社通信など中国の国営メディアは、上海で休養していた李元首相が、心臓発作に見舞われ、医師たちによる全力の救助も功を奏さず、そのまま亡くなったとだけ報じました。享年68歳。

 1955年7月生まれの李元首相は、文化大革命(1966~76年)後、名門・北京大学の法学部に入学、学生時代は国際商法などに興味を示し、自ら進んで専門書の翻訳などに汗を流す傍ら、同大学生会首席という学生トップの座も担いました。卒業後は大学に残り、共産主義青年団(共青団)北京大学支部の書記を歴任、その後の政治人生に向けての基礎を作りました。

 共青団を政治的地盤に一気にエリート街道を駆け上がった李元首相は、1999年、43歳という最年少で河南省省長に就任、その後、遼寧省共産党委員会書記を経て、2007年、52歳の若さで中央政治局常務委員に就任、5年間副首相を務めた後、2013年3月から2023年3月の10年間、共産党序列2位、首相を務めました。

 2023年3月5日、全国人民代表大会初日の「政府活動報告」を最後に政界からは完全引退。しばしの休息を挟んで、母校である北京大学で教鞭を執りたいという願望を持っていたとも聞きます。知識や学問を重んじ、責任感のある李元首相ですから、特に経済学の分野で国の将来を担う若手の育成のために一石を投じたいという風に考えていたのでしょう。

 政界引退からわずか7カ月の突然の死去。残念でなりません。今日11月2日、李克強氏の遺体は火葬される予定です。ご冥福をお祈りいたします。
 

中国人民が悲痛し、中国政府が警戒した理由

 10月27日、「李克強同志逝世」の七文字が中国メディア、世論を駆け巡る中、多くの国民がソーシャルメディアなどで李元首相の死を哀れむ声を上げました。「ありがとう」「これまで本当にお疲れ様でした」「どうか安らかにお休みください」といった投稿がネット上で溢れかえるのを眺めながら、私は、「史上最も弱小な国務院総理」と揶揄(やゆ)されることもあった李元首相は、実際のところ、本当に国民から愛され、敬われていたのだと実感しました。

 そのように揶揄(やゆ)された最大の背景には、中央委員会総書記、国家主席、中央軍事委員会主席という党・国・軍の最高指導者として君臨してきた、言い換えれば、李元首相が仕えた習近平氏に権力が一極集中し、個人崇拝が横行する中、李克強氏に対して、首相として本来有する権限が付与されなかったことが挙げられます。経済政策、国際会議など外交舞台における英語でのスピーチ、各国首脳との交渉など、李克強氏が明らかに長けていると思われる分野においても、習近平氏が「全て自分が統括する」と言わんばかりに支配してきたのです。

 そんな李氏を横目に、一般国民だけでなく、私が知る共産党の長老や関係者たちも、「かわいそうだ」「憐れで見てられない」といった声が寄せられ、と同時に「李克強は立派だ。自己顕示欲を排除し、党の団結のために自らを律し、黒子に徹し続けた」(共産党関係者)という評価も多いのです。

 そんな功労者である李克強が、未練がましい姿勢を一切見せることなく政界から完全引退してわずか半年強で、68歳の若さで急死してしまった。国民(世論)全体が李克強に感情移入し、傾倒していく流れを私も明確に感じ取っていました。

 習近平氏率いる党指導部が警戒した背景には、まさに1989年6月のトラウマが作用しているように思います。当時、同じく共青団の重鎮として総書記を務めた胡耀邦氏が、同じく心臓発作で亡くなったのをきっかけに、民主化を求める学生や民衆が立ち上がり、時の政権に「ノー」をたたきつけました。「天安門事件」と呼ばれる歴史的事件です。
 
 胡耀邦氏と同様、開明的で、大衆の声に耳を傾け、地に足の着いた言動を取ろうと尽力してきた李克強氏の突然の死が引き金となり、社会が混乱する、状況次第では、民衆が大規模な抗議デモに走る事態を党指導部が警戒するのは自然の流れだったと思います。当局は警戒を続けるでしょう。

中国経済はどこへ向かうのか?

 李克強元首相の死去を受けて、中国の改革開放や市場経済が後退するといった分析が一部コメンテーターの間でなされているようです。

 「改革派」「市場派」の死によって、市場の論理よりも政治の論理、民間企業よりも国有企業、経済成長よりも国家安全、市場開放よりも規制強化を重視する習近平氏の経済政策への掌握と統制はさらに強まる、と同時に、改革と市場の重要性を習氏に説く人間がいなくなってしまうという類の理由・根拠を挙げているように見受けられます。

 私の考えによれば、この手の指摘は3期目入りした習近平氏率いる共産党政治の実態を反映していません。理由は3つ。

  1.  特に2期目入り以降、権力や権限が習近平氏に一極集中し、国家安全保障が経済や外交に被さるようになって以来、「市場派」「改革派」といった派閥・勢力は実際存在しなくなっており、仮に現役時代の李克強氏がそう考えていたとしても、実際の政策として機能することはなくなっていたこと。
     
  2.  そもそも、強権を振りかざす習近平氏を含め、自らを「非市場派」「非改革派」だとは自認しておらず、李克強氏、あるいは副首相として仕えたマクロ経済の専門家である劉鶴氏を含め、共産党が「集団的」に決定した方針、政策を理論武装し、政権として一致団結して実行することに徹していたこと。
     
  3.  今年3月で政界を完全引退した李克強氏に、そもそも現役たちの行う政治に介入、干渉する意思は毛頭なく、経済に関する自らの見解を主張するにしても、それは北京大学の教室内とか、経済学者との意見交換といった場面に限定されること。

 要するに、3期目入りした習近平政権の経済政策は、李克強元首相の死とは実質的に無関係ということです。むしろ、習氏に一定の権限を委ねられている李強首相や、経済政策を担う他の国務院指導層たちの動向、例えば、政府として市場・企業関係者とどういう対話、連携を行っていくか、といった要素の方がよほど影響は強いと言えます。

 もちろん、中国経済と世界経済は密接につながっており、健全で透明性のある知的対話・交流が、一国経済の印象や評価を向上させることは万国共通と言えます。その意味で、李克強という、西側の理論や思想に精通した、首相経験者である経済の専門家を失った事実は、国際社会と中国が建設的な相互対話を展開していく上では、大きな損失と言えるでしょう。