BRICSプラスの歴史
BRICSプラスの歴史を確認します。BRICSプラスの起源は米国の大手金融機関が発行した経済レポートであるとされています。
2001年にジム・オニール氏が書いた「Building Better Global Economic BRICs(より良い世界経済を築く BRICs)」、2003年にジム・オニール氏などの助力を受けた2人の専門家が書いた「Dreaming With BRICs: The Path to 2050(BRICsと共に夢を見る:2050年への道)」で、「BRICs」の文字を確認できます。
レポート内で「BRICs」(sが小文字)の表記になっているのは、「複数の新興国」という意味を出す意図があったと考えられます。2001年のレポート内に、Brazil, Russia, India and China (BRIC) という、単数の表記が残っており、「the BRIC」にするか「BRICs」にするか、迷ったことがうかがえます。
これらのレポートの存在は、(金融機関の働きかけがあってか)瞬く間に世界中が知ることとなり、「BRICs」(一部では「BRIC's」の表記もある)は、今後大変な成長を遂げる国のグループ、というイメージが定着しました(2000年代前半)。
当事国(当該レポート内の四カ国、南アはまだ属していない)の動きは、周囲の急成長を期待する動きにやや遅れ、2006年の国連総会で四カ国の外相が会談を行い、リーマンショック直前の洞爺湖サミット(2008年)の場で非公式の首脳会談を行い、2009年にようやく公式の首脳会談を行いました。
名づけ親も火付け役も米国で、BRICsはその流れに乗った(だけの)ようにも見えます。
図:BRICSプラスの歴史
2011年の第三回首脳会談で、南アフリカが加わることが決まり、5カ国になりました(これを機にsはSに変わった)。そして今年の第15回首脳会談で6カ国が加わることが決まり、「BRICSプラス」になりました。