金融政策で何が問題なのか?

 さて、日銀の金融政策を論じる場合に何が問題なのだろうか。例えば、「2%」のインフレ目標がなぜ適切とされているのだろうか。

 先ず、景気と雇用に対する調整は金融政策をもって行うことが、先進国の経済政策のスタンダードだ。この場合、インフレ率が低下してゼロに達してしまうと実質金利をマイナスにすることが出来ないので、金融政策の効果に限界が生じやすい。平均的にプラスのインフレ率がある経済の方が、金融政策の効果が発揮しやすい。また、経済取引全般に於ける商品やサービスの相対価格をスムーズに調整する上でもマイルドなインフレ状態がある方がいいし、年金や社会保障関係の給付や掛け金の調整にもマイルドなインフレ状態が好ましい。

 もちろん、インフレ率が高すぎたり変動が大きく急激であったりすることは、経済取引の効率性を損なうので避けた方がいい。

 2%という数字に絶対的な根拠があるわけではないが、安定的にプラスだけれども、高すぎないし、安定的に管理しやすいインフレ率はだいたいこのくらいではないかという大凡のコンセンサスが世界の多くの先進国にはある。その場合に、為替レートを安定させる上でも日本の同じくらいのインフレ率であることが望ましいと言う要素も加わる。

 景気を後押しして雇用を改善すること、さらにはインフレ率を上昇させるために中央銀行に出来ることは、第一に政策金利の引き下げであり、いわゆるマネー(現金と流動性のある預金)を民間経済に豊富に供給する金融緩和政策だが、ここで政策金利がゼロにまで達するような環境では、そもそも民間経済に資金需要が乏しいので、市中銀行から国債を買って民間銀行にマネーを供給しても、これが貸し出しの形で民間経済に回らずに、無利子であっても流動性が高く信用リスクの上で安心な日銀当座預金が準備預金として要求される水準以上に積み上がる形で滞留してしまう問題が起こる。

 大雑把には、日銀がマネーを供給しても、経済に資金需要がないので、そのマネーが民間経済に回らない状態が生じると考えていい。

 こうした状況下では、財政が、支出を増やしたり、減税や給付金で民間経済にお金を渡す形で、民間経済により多くのお金を回すことが可能になるので、「金融緩和が有効に機能するためには、財政の協力が必要だ」という状況が生じる。ところが、2014年と2019年に消費税率が引き上げられるなど、財政の金融政策に対する協力が不十分であったために、わが国ではなかなか「2%」のインフレ目標を達成することが出来なかった。

 政策金利がゼロまで達すると、金融政策がより効果的であるためには財政政策の協力が必要なのだ。「財政政策には大きな問題があった」と筆者は認識している。

 重要な原因が二つある場合に、一つの要因と結果だけを見て、注目した要因について判断を下すと間違えることがある。「金融緩和でインフレ目標が達成出来るはずだったのに、これが達成出来なかったのは、金融政策の失敗だった」と総括して、金融緩和を止めて金利引き上げに向かうと上手く行くのではないかと思うのは、おそらく不適切で愚かだ。財政政策の影響を考えるべきだ。

 安倍晋三氏が首相に就任してアベノミクスが始まった時に、金融緩和、積極財政、成長戦略、の三つの政策をセットにして「三本の矢」という比喩が用いられたが、そのうちの財政政策の矢は十分に飛ばなかったり、2014年に至っては逆向きに放たれたりしたことが、「2%」が長年未達だった大きな原因であろう。金融緩和自体は必要であり適切だった。同時期に利上げでもしていれば、ひどい状況を招来しただろう。

「期待」への働きかけの困難

 おそらく一種の不文律があるのだろうと推察されるが、財政について日銀が財務省や政治家に注文を付けることは、筆者の知る限りない。このことは、日銀の行動としても問題だったと筆者は考えるのだが、黒田総裁時代の日銀には、もう一つ悩ましい問題があった。それは、日銀が積極的に国民の「期待」(=予想)に働きかける政策を採ったことだ。

 つまり「日銀は2%のインフレを目指しており、それを達成することが出来るので、国民の皆さんは2%のインフレになるという期待を持って行動して下さい」という趣旨のメッセージを、有名な日銀は黒田総裁の就任会見以来強く発し続けた。

 長年黒田総裁の記者会見の定番の台詞だった「必要があれば躊躇なく追加の緩和策を実施する」はこの文脈の下で発せられたと考えることが出来る。

 しかし、事後的に見て2%の目標は未達なのだから「必要はあった」はずだが、日銀の政策だけではこれを実現することは出来なかった。

 しかし、「国民の期待に対する働きかけ」の効果を考えると、日銀は自ら「日銀の力だけでは2%の達成は難しいかも知れません」と情報発信することを躊躇して、「日銀の政策だけでインフレ目標の実現は十分可能だ」という態度をとり続ける必要があった。

 そして、「追加の緩和策」があり得ることを時々は示す必要があったために、前述のETF買い入れやイールド・カーブ・コントロールのような、財政政策の協力があればやらない方が良かった政策までメニューに載せてしまったのだと筆者は解釈している。

 次期日銀総裁に最も必要だと筆者が思う条件は、「財政政策及び財務省に必要な意見を遠慮なく且つおおっぴらに言うことが出来る人」ということになる。

 現在世間で名前が挙がっている人の中に、この条件を満たす人はいないように思われるのだが、この予想をいい意味で裏切ってくれるなら、極端な話だが、誰が総裁になっても大歓迎したい。