個人投資家が距離を置きたい年金基金の3つの行動

 前回説明したとおり、年金基金や海外大学の基金が「運用会社を評価し使いこなす運用のプロ」であり、それなりの歴史とビジネス環境に鍛えられた存在であることは一面で間違いない。しかし、基金のやり方が「常に偉いか?」というと、実はそうではない場合が時々ある。

 理由はなぜなのかと考えると、1つには基金が抱えている目標と制約がそれなりに複雑だからであり、もう1つには基金の運用担当者も固有の利害を持ったビジネスパーソンであって、一言で言うなら「人間だから」だろう。

 以下、全ての基金に共通だというわけでもないのだが、基金でよくある考え方や行動で個人投資家が真似しない方がいいものを3つあげる。

1.予定利率にこだわった運用計画

 例えば、日本の公的年金や企業年金の運用の考え方を個人がそのまま真似する場合、最大の弊害を生む要因となる可能性があるのは、「予定利率」にこだわった運用計画だ。

 年金財政では、将来の給付の必要性と、集めるべき年金保険料の関係を決めるに際して、積立金の運用利回りに一定の仮定を置くのだが、この計算上の利回りが予定利率だ。大まかに言って、年金基金の運用は、予定利率を上回っていれば年金財政上の目標を達成しているということになる。

 因みに、運用利回りが予定率に満たない状態が生じると、将来の年金給付に必要な積立金の金額に「積立不足」が発生する。こうした積立不足は、一定のルールの下に解消することになっているが、運用が望外に上手く行くような幸運が生じなければ、通常は年金保険料の引き上げが行われるし、それで不十分な場合は母体企業に負担が生じたり、最悪の場合は「年金倒産」(企業年金の積立不足が原因で母体企業が潰れること)といった事態が起こりうる。

 そこまで至らずとも、企業年金の場合、保険料の値上げは年金制度の加入者にとって負担の増加要因であり、大いに嫌われるので、基金は加入者の説得に苦労することになる。これは基金にとって、是非避けたい事態の1つだ。

 年金保険料を決めるためには、計算上何らかの予定利率が必要だし、基金が運用を行う上で運用目標として、予定利率を意識しないという訳には行かない。だが、予定利率が運用を決めるようになると大いに危険な場合がある。

 この運用利回り目標としての予定利率にこだわると、「予定利率を達成できそうな運用計画でもっともリスクの小さいものを選ぶ」アプローチが採られがちになるのだが、これがしばしば不適切なリスク水準(リスクが過大であることも、過小であることもあり得る)の運用計画が正当化されることにつながる。

 ファイナンシャル・プランナーが使うソフトウェアなどにも、このようなアプローチのものが少なくないので注意したい。ツールとしては、全く使えないクズなのだが、現実には使われることがある。

 個人が、破綻の心配がなくて、まずまず効率的な運用計画を作るためには、(1)先にリスクの範囲の限界を決めておいて、(2)その中でリターンの最適化を目指す運用アプローチが「現実的」だ。