物議醸す「共同富裕」を弁明

 私からみて印象深かったのが、習氏がダボスという場を使って、中国経済と企業の成長という観点から物議を醸してきた「共同富裕」について“さりげなく”弁明をしていた光景です。

 習氏はまず次のように背景を説明します。

中国経済が長期的に十分な成長を遂げ、国民の生活水準は大幅に向上した。しかし、私たちは深く知っている。国民の豊かな生活への追求を満足させるためには長い、厳しい努力が必要なのだと。中国は人間の全面的発展を推進する、国民全体の共同富裕を実質的に進展させるという明確な目標を提起してきた

 その上で、次のように主張します。

中国が共同富裕を実現しなければならないが、それは平均主義をやるということではない。まずはパイを大きくして、その後合理的な制度設計でパイを分配することを意味する。水位が上がり、船の位置が高くなれば、各自しかるべき場所にたどり着くであろう。発展の成果をより多く、より公平な形で国民全体に享受してもらうことが目的なのだ

 水と船を使った比喩は目新しいと感じましたが、そのほかの文言は、表現は異なれ、党指導部が従来から主張している内容と何ら変わりはありません。日本においても、岸田政権の下、新しい資本主義という文脈の中で成長と分配をめぐるけんけんがくがくとした議論が行われていますが、習政権がここにきてより大々的に展開する共同富裕をめぐる議論も、結局は成長と分配の物語に帰結するのだと私は理解しています。

 具体的な方法、順序、調整などには差異があるのでしょうが、まずは経済全体を成長させて、その上で政府、市場、社会の作用を通じて分配、再分配していく、とりわけ中国においては、その過程で党・政府が指導的な役割を担っていくということです。

 共同富裕の核心は「経済の底上げ」であり、いまだ約13億人いる低所得者層、中間層の所得や生活水準を引き上げないことには、中国経済という巨大な船は持続的、長期的に前進していかない、どこかで沈んでしまうかもしれない。だからこそ、一部の人間・地域を率先して豊かにさせる鄧小平(ダン・シャオピン)時代の「先富論」ではなく、国民全体を豊かにするための「共同富裕」に大転換した。2021年という共産党結党百周年に当たる節目の年が、「共同富裕元年」にふさわしかったという政治的説明だと言えます。

 一方で、習氏は、共同富裕の実践と実現は、長く、厳しいプロセスを経るものと認めており、決して自信満々でいるわけではありません。今後の動向を注視してまいりましょう。