バラマキ政策の「財源」と「実現性」

 バラマキ政策に対する批判として、「財源がない」と言って、そこで思考停止する人が多いのは大変残念だ。財源は必ずある。

 確かに広く一律で継続的な現金給付にはお金が掛かる。例えば、国民全員に一人毎月1万円配ると、1年が12カ月で、日本の人口が1億2,500万人なので、15兆円のお金が必要だ。

 しかし、国民全体としては、一人一月1万円を12カ月追加的に受け取っているので、税金の負担能力が15兆円分増している。所得や資産などの属性に応じて、相対的な富裕者により多く税金を追加的に負担して貰えば、富裕者から困窮者への「再分配」が実現する。

 要は、「現金給付+増税」のパッケージで再分配が可能であり、これに反対する人は、「再分配」自体に反対しているのだと考えていい。「お金持ちほどケチである」という場合が現実には少なくないので、あり得る話だが、政策論としては「再分配」の規模と、受給者・負担者の属性を先ず考えたらいい。

「財源」の話を理由に給付金に反対するのは、結果的に、再分配に抵抗するお金持ちの肩を持っていることになると理解されたい。

「財源」については、もう1つ重要な問題がある。それは、増税の「対象」と「時期」の両方を考えなければならないということだ。

 広く現金を給付して、富裕者の負担が相対的に重くなるように追加的な課税を設計すると「再分配」が完成するのだが、それらは同時に行う必要はないし、同時に行う事がマクロ経済政策として不適切な場合がある。

 追加的な課税を行うのが適切な時期が「今」であるかどうかは検討の余地がある。例えば、2021年現在の日本であれば、インフレ率が目標(2%)を大幅に下回っている事が問題なので、日銀の金融緩和政策を後押しするために、財政収支の赤字を拡大して赤字国債を発行する事が適切だ。当面の政策としては、増税よりも赤字国債発行の方が遙かに健全だ。

 この「時期」の問題を無視して、「赤字国債を財源とするのは無責任だ」とか「支給の見合いの財源を直ちに調達すべきだ」と言い募るのは不適切だ。例えば、消費税を全額の財源として給付金政策を行うと、凄まじい不況になるだろう。

 筆者個人の意見としては、リスクを取った投資の収益にあたかも処罰するがごとく課税する「金融所得」への税金の見直し(引き上げ)ではなく、個人が保有する株式にも銀行預金にも等しく課税する「金融資産」への課税強化が好ましいと思っている。

 それでは、「現金、一律、所得制限無し、継続的」なバラマキ政策は可能だろうか。実現は大変だと思うかも知れないが、概ね条件に適う政策がある。それは、現在、保険料の2分の1が国費で賄われている、現役世代が負担する国民年金・基礎年金(サラリーマンは厚生年金を通じて負担している)保険料を全額国費負担とすることだ。

 現在、国民年金の保険料は所得等にかかわらず一律に一月1万6,610円だが、この負担がなくなると、現役世代で低所得な人の「手取り収入」は毎月一定額(税率による。高所得者は増え方が小さい)直ちに増えることになる。

 加えて、日本年金機構による国民年金の保険料徴収コストや、加入の勧誘に伴うコストが不要になる。

 財源は、当面赤字国債で、インフレ目標達成後には富裕者への増税とすると、広範囲な「再分配」を比較的簡単に達成することが出来る。

 上記のように、バラマキの実現方法には、経済力に無関係に国民が一律・定額に近い負担を行っている費用の財源を国費化して無料化して、国民の手元の可処分所得を増やす方法もある。

 教育の必要性の個人差や、病気になるかならないかといった確率の問題があり、純粋なバラマキから遠ざかるが、教育費や医療費の一部を無償化してその財源を富裕者に負担して貰う再分配もあり得る。単純な現金のバラマキだけが、再分配政策であるわけではない。但し、標準的には「現金、一律、所得制限無し、継続的」なバラマキが好ましいので、こうしたバラマキ政策を言わばベンチマークとして、現実の政策を評価したらいい。

 尚、現金のバラマキ政策は再分配政策であり格差対策だが、世界的に教育を通じて格差が拡大し固定化されているという指摘がある。高等教育まで含めた広い範囲まで教育費を無償化することは、有効な格差対策であり、国全体として人的資本への投資にもなることを付け加えておこう。

 バラマキ政策は正しく行うと素晴らしい。工夫によって実質的に理想に近い政策を行うことが可能だ。「バラマキだ!」という一言で嫌うのは残念だ。