2.対象者は広く一律の給付であること

 給付の対象者を、特定の年齢、性別、何らかの属性で限定しようとすることは、給付金政策の一般論として好ましくない。「子育て世帯はお金が掛かるので大変だ」という事情もあれば「資産や所得の少ない高齢者は本当に困窮しているだろう」といった、経済的に困っている人の事情を、政府が評価して支給対象者を限定しようとする政策は、再分配政策としての公平性を欠いている。

 広い対象に「一律に」給付することが、より公平で、対象者の選別に手間が掛からないことから効率的でもある。例えば、所得や資産について、生活保護並みに細かな条件を付けると、世帯ごと、個人ごとの事情を調べることに手間が掛かるし、見落としや不正による不公平が起こる可能性もある。

 一方、広く一律に支給すると言うと、「困っていない人やお金持ちにも支給することになる」とか、「大きな財源が必要だ」という批判が考えられる。

 しかし、これら2つの批判には、納得的な反論が存在する。

 先ず、お金持ちにも給付することについては、分配政策の効果は、給付と追加的な税負担の「差額」で見る必要があることを指摘しておく。給付だけを見るのは、近視眼的で正しくない。所得と資産の何れで測るにせよ(筆者は資産で測るべきだと考えるが)、「お金持ちにも一律に給付して、彼らには追加的な税金を給付金以上に負担して貰えばいい」と考えたらいい。その「差額」が再分配政策の効果となる。

 公平性は、給付金と税金の両方で調整するよりも、税金の側だけで調整する方がシンプルで効率的だ。

 財源については、後で少し補足するが、現金を給付する政策の場合、国民の手元には追加的な現金が増えるので、国民全体の担税力はそれだけ増加しており、追加的な課税を行う余地は「必ずある」ことを指摘しておく。

 再分配の効果は、追加的な、「給付」と「課税」の「差額」で見るという考え方を徹底的に理解すべきだ。

3.所得制限を設けないこと

 給付の対象者に所得制限を設けることは、前記のような見方を理解しない国民や政治家にとって、納得的で正義に適うことであるように映るようだ(しかし、大変愚かなことだ)。過去に給付政策が論じられた時にも、所得制限の議論がしばしば登場した。

 例えば、同じ所得でも、家庭の事情により困窮度合いは異なるだろうが、これを行政側がどう評価するのか。また、相対的に所得があっても資産が少ない人と、低所得でも資産が多い人の困窮度合いをどう評価するのかといった、給付の対象者選定にあたっての公平性の判断は難しい。

 加えて、所得制限には、手間と時間とコストが掛かるという問題がある。行政が余計な裁量権を持つことは好ましくないし、査定には手間が掛かる。

 個々の家計の所得と資産のデータが政府に完全に把握されていれば、家計の条件に応じて給付金を調整することが可能になるかも知れない。しかし、2021年になって、やっとデジタル庁が出来、マイナンバーカードの普及が十分でないような、デジタル後進国のわが国にあっては、現実的ではない。

 一方、一律・定額の給付を行って、追加的な税金を課して、その「差額」で公平性を調節するなら、税制全体の公平性に応じて、その再分配政策は公平である。デジタル化が不十分でも、迅速に給付を行い、公平性を確保することができるのだ。

4.一時金ではなく継続的な給付であること

 2020年の一人10万円の給付が、なかなか消費に回らなかった原因の1つに、「一時的な収入」なので多くの人がしばらくため込んで様子を見たことが挙げられる。

 経済学には、「恒常所得仮説」という有名な考え方がある。これは、個々の経済主体の消費は、一時の所得によって決まるのではなく、将来恒常的に得られるだろうと予想される所得の関数だと考えるものだ。恒常所得仮説は、家計の管理の考え方としても妥当で好ましい。

 すると、1回限り10万円で、次にはいつ給付が行われるか分からない給付金の支給よりも、例えば「毎月1万円を今後ずっと給付する」という政策の方が、個々の国民にとっては、安心でもあり、消費計画が立てやすい。

 バラマキ政策は、継続的なものの方が好ましい。

 以上をまとめると、バラマキ政策(現金給付政策)は、「現金、一律、所得制限無し、継続的」なものが望ましい。