「バラマキ」にも良し悪しがある

 先般、自由民主党の総裁選挙が行われ、さらに衆議院議員選挙が行われた。この間、各候補、各党は、経済政策として、各種の現金給付政策を打ち出した。これらを評して、現役の財務省次官である矢野康治氏は雑誌『文藝春秋』で「バラマキ合戦」と呼んだ。

 本稿では、こうした現金(クーポン券の場合もあるが)を給付する政策を評価する考え方を述べる。「バラマキ(政策)」にも、政策としての良し悪しがあるのだ。近年、わが国のみに限らず、世界的に現金を給付する政策の提案や実施が少なくない。投資家としても、バラマキ政策の正しい評価方法を知っておきたい。

 尚、本稿にあって、個々に強い判断根拠を述べるが良し悪しの判断は筆者個人のものであり、また、特定の政党や政治家を褒めたり批判したりする意図は全くないことをお断りしておく。

良いバラマキの4原則と政策を見る上での注意点

 はじめに、良いバラマキ政策の特徴を4原則にまとめておこう。

【良いバラマキ政策の4原則】

  1. 給付は現物ではなく現金であること
  2. 対象者は広く一律の給付であること
  3. 所得制限を設けないこと
  4. 一時金ではなく継続的な給付であること

 順に説明する。

1.給付は現物ではなく現金であること

 給付するものは、教育クーポン、地域で使える商品券、食料品、などのような現物性の高いものよりも、現金(ないしは決済に使える預金)が好ましい。

 理由は、使う対象も、使う時期も、受給者が自由に選ぶことができる方が、受給者にとって価値が高いからだ。

 例えば、子供の教育や、リカレント教育などを推進しようとして、「教育クーポン」を配ろうという発想はあり得るが、現在、教育費よりも食費や被服費を必要としている家庭もあるだろうから、「教育クーポン」の利用価値は家計によって平等ではない。

 現金を配ると、遊びやギャンブルに使うなどの、好ましくない使途があり得るから、これを防止するためには、目的を限定したクーポンがいいと言う向きがあるが、これは、余計なお世話であり、政府による国民生活への過剰な介入だ。

 経済学の議論としても、現金給付は受け取った人にとって最も効用が高い目的に使えるのだから、現物給付よりも価値が高いと論じることができる。

 また、こうした給付政策で、しばしば使える地域や目的、期限を限定した商品券・クーポン券を配ろうとする政策が現れることがある。

 こうした政策には、特定の業界や地域と政治家の間の利害関係が反映することがある。

 また、クーポン券が好まれるのは、期間内に消費に回るので「景気対策として消費下支えの効果が大きい」と考えるエコノミストの声が反映していることもある。

 しかし、そもそも、現金の給付政策は「再分配政策」なのだから、その価値を測るにあたって「景気」を持ち込むのは不適切だ。先ずは、困っている人に現金が渡ることで良しとすべきであり、それを短期間に使わせようと強制することは、「景気対策」に引き摺られた下品な考え方だ。

 また、経済学的な議論としても、個人は受け取ったお金を使う「時点」についても、自由に選択したいはずなので、使う時期を限定せずにしばらく貯蓄しておくこともできる無条件の現金給付が好ましい。

 2020年に新型コロナウイルス感染症への経済対策として、政府は、国民に一律に10万円を給付した。この給付金は、一説には7割以上が貯蓄されて、景気対策としての効果が乏しかったとの批判が一部のエコノミストからあったが、当時は、各種の「自粛」でお金が使いにくかったし、経済的困窮者が「将来の備えとして、しばらく使用を見合わせる」ことは十分合理的だった。勤労者の所得がなかなか伸びないこともあって、多くの国民が、取りあえず「貯蓄を買ったのだ」と考えるといい。

 この点に関しては、原則の4番目である「一時金ではなく継続的な給付であること」とも関係する。

2.対象者は広く一律の給付であること

 給付の対象者を、特定の年齢、性別、何らかの属性で限定しようとすることは、給付金政策の一般論として好ましくない。「子育て世帯はお金が掛かるので大変だ」という事情もあれば「資産や所得の少ない高齢者は本当に困窮しているだろう」といった、経済的に困っている人の事情を、政府が評価して支給対象者を限定しようとする政策は、再分配政策としての公平性を欠いている。

 広い対象に「一律に」給付することが、より公平で、対象者の選別に手間が掛からないことから効率的でもある。例えば、所得や資産について、生活保護並みに細かな条件を付けると、世帯ごと、個人ごとの事情を調べることに手間が掛かるし、見落としや不正による不公平が起こる可能性もある。

 一方、広く一律に支給すると言うと、「困っていない人やお金持ちにも支給することになる」とか、「大きな財源が必要だ」という批判が考えられる。

 しかし、これら2つの批判には、納得的な反論が存在する。

 先ず、お金持ちにも給付することについては、分配政策の効果は、給付と追加的な税負担の「差額」で見る必要があることを指摘しておく。給付だけを見るのは、近視眼的で正しくない。所得と資産の何れで測るにせよ(筆者は資産で測るべきだと考えるが)、「お金持ちにも一律に給付して、彼らには追加的な税金を給付金以上に負担して貰えばいい」と考えたらいい。その「差額」が再分配政策の効果となる。

 公平性は、給付金と税金の両方で調整するよりも、税金の側だけで調整する方がシンプルで効率的だ。

 財源については、後で少し補足するが、現金を給付する政策の場合、国民の手元には追加的な現金が増えるので、国民全体の担税力はそれだけ増加しており、追加的な課税を行う余地は「必ずある」ことを指摘しておく。

 再分配の効果は、追加的な、「給付」と「課税」の「差額」で見るという考え方を徹底的に理解すべきだ。

3.所得制限を設けないこと

 給付の対象者に所得制限を設けることは、前記のような見方を理解しない国民や政治家にとって、納得的で正義に適うことであるように映るようだ(しかし、大変愚かなことだ)。過去に給付政策が論じられた時にも、所得制限の議論がしばしば登場した。

 例えば、同じ所得でも、家庭の事情により困窮度合いは異なるだろうが、これを行政側がどう評価するのか。また、相対的に所得があっても資産が少ない人と、低所得でも資産が多い人の困窮度合いをどう評価するのかといった、給付の対象者選定にあたっての公平性の判断は難しい。

 加えて、所得制限には、手間と時間とコストが掛かるという問題がある。行政が余計な裁量権を持つことは好ましくないし、査定には手間が掛かる。

 個々の家計の所得と資産のデータが政府に完全に把握されていれば、家計の条件に応じて給付金を調整することが可能になるかも知れない。しかし、2021年になって、やっとデジタル庁が出来、マイナンバーカードの普及が十分でないような、デジタル後進国のわが国にあっては、現実的ではない。

 一方、一律・定額の給付を行って、追加的な税金を課して、その「差額」で公平性を調節するなら、税制全体の公平性に応じて、その再分配政策は公平である。デジタル化が不十分でも、迅速に給付を行い、公平性を確保することができるのだ。

4.一時金ではなく継続的な給付であること

 2020年の一人10万円の給付が、なかなか消費に回らなかった原因の1つに、「一時的な収入」なので多くの人がしばらくため込んで様子を見たことが挙げられる。

 経済学には、「恒常所得仮説」という有名な考え方がある。これは、個々の経済主体の消費は、一時の所得によって決まるのではなく、将来恒常的に得られるだろうと予想される所得の関数だと考えるものだ。恒常所得仮説は、家計の管理の考え方としても妥当で好ましい。

 すると、1回限り10万円で、次にはいつ給付が行われるか分からない給付金の支給よりも、例えば「毎月1万円を今後ずっと給付する」という政策の方が、個々の国民にとっては、安心でもあり、消費計画が立てやすい。

 バラマキ政策は、継続的なものの方が好ましい。

 以上をまとめると、バラマキ政策(現金給付政策)は、「現金、一律、所得制限無し、継続的」なものが望ましい。

バラマキ政策の「財源」と「実現性」

 バラマキ政策に対する批判として、「財源がない」と言って、そこで思考停止する人が多いのは大変残念だ。財源は必ずある。

 確かに広く一律で継続的な現金給付にはお金が掛かる。例えば、国民全員に一人毎月1万円配ると、1年が12カ月で、日本の人口が1億2,500万人なので、15兆円のお金が必要だ。

 しかし、国民全体としては、一人一月1万円を12カ月追加的に受け取っているので、税金の負担能力が15兆円分増している。所得や資産などの属性に応じて、相対的な富裕者により多く税金を追加的に負担して貰えば、富裕者から困窮者への「再分配」が実現する。

 要は、「現金給付+増税」のパッケージで再分配が可能であり、これに反対する人は、「再分配」自体に反対しているのだと考えていい。「お金持ちほどケチである」という場合が現実には少なくないので、あり得る話だが、政策論としては「再分配」の規模と、受給者・負担者の属性を先ず考えたらいい。

「財源」の話を理由に給付金に反対するのは、結果的に、再分配に抵抗するお金持ちの肩を持っていることになると理解されたい。

「財源」については、もう1つ重要な問題がある。それは、増税の「対象」と「時期」の両方を考えなければならないということだ。

 広く現金を給付して、富裕者の負担が相対的に重くなるように追加的な課税を設計すると「再分配」が完成するのだが、それらは同時に行う必要はないし、同時に行う事がマクロ経済政策として不適切な場合がある。

 追加的な課税を行うのが適切な時期が「今」であるかどうかは検討の余地がある。例えば、2021年現在の日本であれば、インフレ率が目標(2%)を大幅に下回っている事が問題なので、日銀の金融緩和政策を後押しするために、財政収支の赤字を拡大して赤字国債を発行する事が適切だ。当面の政策としては、増税よりも赤字国債発行の方が遙かに健全だ。

 この「時期」の問題を無視して、「赤字国債を財源とするのは無責任だ」とか「支給の見合いの財源を直ちに調達すべきだ」と言い募るのは不適切だ。例えば、消費税を全額の財源として給付金政策を行うと、凄まじい不況になるだろう。

 筆者個人の意見としては、リスクを取った投資の収益にあたかも処罰するがごとく課税する「金融所得」への税金の見直し(引き上げ)ではなく、個人が保有する株式にも銀行預金にも等しく課税する「金融資産」への課税強化が好ましいと思っている。

 それでは、「現金、一律、所得制限無し、継続的」なバラマキ政策は可能だろうか。実現は大変だと思うかも知れないが、概ね条件に適う政策がある。それは、現在、保険料の2分の1が国費で賄われている、現役世代が負担する国民年金・基礎年金(サラリーマンは厚生年金を通じて負担している)保険料を全額国費負担とすることだ。

 現在、国民年金の保険料は所得等にかかわらず一律に一月1万6,610円だが、この負担がなくなると、現役世代で低所得な人の「手取り収入」は毎月一定額(税率による。高所得者は増え方が小さい)直ちに増えることになる。

 加えて、日本年金機構による国民年金の保険料徴収コストや、加入の勧誘に伴うコストが不要になる。

 財源は、当面赤字国債で、インフレ目標達成後には富裕者への増税とすると、広範囲な「再分配」を比較的簡単に達成することが出来る。

 上記のように、バラマキの実現方法には、経済力に無関係に国民が一律・定額に近い負担を行っている費用の財源を国費化して無料化して、国民の手元の可処分所得を増やす方法もある。

 教育の必要性の個人差や、病気になるかならないかといった確率の問題があり、純粋なバラマキから遠ざかるが、教育費や医療費の一部を無償化してその財源を富裕者に負担して貰う再分配もあり得る。単純な現金のバラマキだけが、再分配政策であるわけではない。但し、標準的には「現金、一律、所得制限無し、継続的」なバラマキが好ましいので、こうしたバラマキ政策を言わばベンチマークとして、現実の政策を評価したらいい。

 尚、現金のバラマキ政策は再分配政策であり格差対策だが、世界的に教育を通じて格差が拡大し固定化されているという指摘がある。高等教育まで含めた広い範囲まで教育費を無償化することは、有効な格差対策であり、国全体として人的資本への投資にもなることを付け加えておこう。

 バラマキ政策は正しく行うと素晴らしい。工夫によって実質的に理想に近い政策を行うことが可能だ。「バラマキだ!」という一言で嫌うのは残念だ。