文化大革命を“完全否定”

 まずは次の部分です。

「毛沢東同志は当時、我が国の階級情勢や党、国家の政治状況に対して完全に誤った見方をし、『文化大革命』を発動、領導した。林彪(リン・ビャオ)や江青(ジャン・チン)という二つの反革命集団は毛沢東同志の過ちを利用し、国家と国民に多大な被害を与える罪悪な活動を行った。結果、10年の内乱を引き起こし、党、国家、人民は新中国建国以来最も深刻な挫折と損失に見舞われた。この教訓は極めて苦しいものである…党は『文化大革命』という重大な決定・政策を徹底的に否定した。40数年来、党はこの路線方針と政策を終始堅持してきた」

 6中全会前夜、一部中国ウオッチャーの間では、習氏が「歴史決議」で文化大革命を実質“美化”するのではないかといった議論がなされていました。ただ、実際は上記のように、毛沢東の見方は「完全に誤っていた」、文化大革命は「徹底的に否定」しなければならないほどの損失と教訓をもたらしたものだったと総括しています。

 習氏に権力が一極集中し、個人崇拝がはびこり、言論の自由が抑圧される政治情勢下で、習近平政権の実行している政策を「第2の文革」と見なす関係者は少なくありません。

 と同時に、昨今の政治状況は、文革を否定することで始まった改革開放の時代から、再び文革時代に引き戻してしまうのではないかという懸念も根強いのです。

 仮に、これらの事態が現実化すれば、国際社会はもちろん、国内の政府官僚、知識人、多くの国民が習氏から離れていくでしょう。

 そこで今回、公に毛沢東の過ちを指摘、文革を否定し、「歴史決議」という重大文書に記録として残したのは、可能な限り自らへの疑問や懸念を払拭(ふっしょく)し、すでに物議を醸している来秋以降の続投を実現するための布石だと考えられます。

天安門事件での歴史的汚点には向き合わず

 次に以下の部分です。

国際的に反共・反社会主義の敵対勢力による支持や扇動を受けた国内外情勢が相互に影響し合い、1989年の春夏が交わるころ、我が国で深刻な政治風波が発生した。党と政府は人民に依拠し、動乱に対して鮮明に反対し、社会主義国家政権と人民の根本的な利益を死守した

 この部分が、1989年6月に発生した天安門事件を指しているのは明らかです。ただ、中国共産党は今になってもその言葉を使わず、上記のような紛らわしい、あいまいな表現で当時の情景を修飾するのです。

 と同時に、これまで同様、当時、民主化を求めて立ち上がった学生や知識人、一般市民たちの欲求や活動を「動乱」と断定し、最高権力者であった鄧小平の指導下で下された、武力をもって民主化運動を鎮圧したやり方を正当化してみせたのです。

 全くもって想定内ですが、やはり文化大革命と天安門事件は別物ということでしょう。

 私自身は、自らの政策によって多くの死者を出した天安門事件に真摯(しんし)に向き合い、その歴史を清算しない限り、中国が真の意味で国際社会、特に西側民主主義国から信頼、尊重されることはない、普遍的な次元・水準において自由化、民主化する日も来ないと考えています。