中国の「今」と「次」を占う8つのポイント
1:アドリブが得意な李克強が時折メモ用紙に視線を落とした理由
毎年、国務院総理による記者会見は、全人代閉幕直後に実施されるのですが、李克強は、閉幕式中も、記者会見に向けて何やらいろいろ考えている様子でした。形式的な閉幕式には姿だけ見せておき、気持ちはすでに直後に臨む記者会見を見据えているように見受けられました。毎年このような感じで、今年が特別だったわけではありません。
李克強と仕事をした複数の党・政府・法曹界関係者から、その人柄がうかがえる話を聞いたことがあります。
「克強は中国共産党で決められた政治方針や指導思想、例えば『中国夢』などを読み上げるよりも、中国が抱えている課題を自らの言葉で、考えながら語るのが好きだ。そういう場を楽しむタイプの人間だ」(李克強の北京大学法学部時代のクラスメート)と言います。
閉幕式終了後、李克強は式典中着用していた赤のネクタイを青のそれに締め替え、コンディションを切り替えて、司会と通訳を携え、記者会見会場に姿を現しました。
受け答えをする様子から、李克強はやっぱり自らのポテンシャルやパフォーマンスを独自に発揮できる、このような空間に慣れ親しんでいるのだなという感想を持ちました。ただ、通訳と交互に話すという事情もあり、例年にも増して、その口調はゆっくりで、一つ一つ言葉をかみしめる、絞り出すようにして、丁寧かつ慎重に回答しているようでした。自らが得意とする経済の分野はともかく、米中関係や香港問題などに関しては、時折、手元にあるメモに視線を落としながら、用語や言い回しに間違いがないように、気を付けていました。
これら中国の主権や国益に関わる事情や問題が、李克強の頭に入っていないことはあり得ません。李克強は政府の首長です。彼に答えられない問題などないと言っても過言ではありません。しかも、往々にして、内政・外交の場を問わず、ぶっきらぼうに原稿を棒読みするだけの習近平(シー・ジンピン)総書記とは違い、李克強は自分の言葉を持っているのです。
にもかかわらず、若干の違和感を覚えるほどに、時折、メモを確認し、読み上げるようにしていた背景には、近年の、習近平に権力が集中する政治情勢が関係しているというのが私の理解です。端的に言えば、習近平のお顔をうかがい、習近平を核心とする共産党の政治思想や政策方針に迎合しなければならないということです。
少しでも文言や言い回しを間違えれば、党内の保守派から、党への忠誠心に欠けている、習近平思想をきちんと学習していないなどと批判され、自らの政治生命すら危うくなり得るリスクがあるということです。故に、自らの言葉で中国の国情や問題を、外国人を含めて分かりやすく語ることに長けている、それを好む李克強ですらそうなのですから、ほかの高級幹部や全国各地にいる役人などは、ガチガチに固まり、緊張しながら、日々の業務に当たっているというのが現状でしょう。
私は、習近平政権下におけるこの政治情勢を「恐怖政治」と呼び、これが原因で、上から下、中央から地方まで、問題を解決し、改革を実行していかなければならない政治家や官僚が、のびのびと、積極的に政策運営に奔走できなくなるジレンマを懸念してきました。中国経済の健全な発展にとっての一つの重大なリスクが、習近平に権力が一極集中し、周りが皆緊張、そんたくするイエスマンと化している政治事情に見いだせると指摘するゆえんでもあります。