李克強が全人代閉幕後に臨んだ記者会見
中国で1年に一度開催される政治の祭典である全国人民代表大会(通称「全人代」。日本の国会に相当)が閉幕し、前回レポート(中国全人代、GDP成長率「6.0%以上」でも弱気。「失敗しない」が最重要)でレビューしました。そこでは、全人代閉幕後、実質的に最後の一大イベントとなる李克強(リー・カーチャン)総理(以下敬称略)の記者会見に注目と言及し、何かおもしろい話があったと感じたら、翌週のレポートで書きとめたい、と結びました。
正直、「おもしろい」と感じる場面や、いわゆる「特ダネ」的な話題を見いだせたわけではありません。しかしながら、経済、医療、科学技術、香港、台湾、米中関係など計11の質問に答えた李克強の表情や回答を観察しながら、中国が現在置かれた状況やこれから向かっていく行き先を整理する上で、有益だと思われる指摘や描写が含まれていました。
本レポートでは、以下、8つの分野をピックアップし、分析していきたいと思います。
中国の「今」と「次」を占う8つのポイント
1:アドリブが得意な李克強が時折メモ用紙に視線を落とした理由
毎年、国務院総理による記者会見は、全人代閉幕直後に実施されるのですが、李克強は、閉幕式中も、記者会見に向けて何やらいろいろ考えている様子でした。形式的な閉幕式には姿だけ見せておき、気持ちはすでに直後に臨む記者会見を見据えているように見受けられました。毎年このような感じで、今年が特別だったわけではありません。
李克強と仕事をした複数の党・政府・法曹界関係者から、その人柄がうかがえる話を聞いたことがあります。
「克強は中国共産党で決められた政治方針や指導思想、例えば『中国夢』などを読み上げるよりも、中国が抱えている課題を自らの言葉で、考えながら語るのが好きだ。そういう場を楽しむタイプの人間だ」(李克強の北京大学法学部時代のクラスメート)と言います。
閉幕式終了後、李克強は式典中着用していた赤のネクタイを青のそれに締め替え、コンディションを切り替えて、司会と通訳を携え、記者会見会場に姿を現しました。
受け答えをする様子から、李克強はやっぱり自らのポテンシャルやパフォーマンスを独自に発揮できる、このような空間に慣れ親しんでいるのだなという感想を持ちました。ただ、通訳と交互に話すという事情もあり、例年にも増して、その口調はゆっくりで、一つ一つ言葉をかみしめる、絞り出すようにして、丁寧かつ慎重に回答しているようでした。自らが得意とする経済の分野はともかく、米中関係や香港問題などに関しては、時折、手元にあるメモに視線を落としながら、用語や言い回しに間違いがないように、気を付けていました。
これら中国の主権や国益に関わる事情や問題が、李克強の頭に入っていないことはあり得ません。李克強は政府の首長です。彼に答えられない問題などないと言っても過言ではありません。しかも、往々にして、内政・外交の場を問わず、ぶっきらぼうに原稿を棒読みするだけの習近平(シー・ジンピン)総書記とは違い、李克強は自分の言葉を持っているのです。
にもかかわらず、若干の違和感を覚えるほどに、時折、メモを確認し、読み上げるようにしていた背景には、近年の、習近平に権力が集中する政治情勢が関係しているというのが私の理解です。端的に言えば、習近平のお顔をうかがい、習近平を核心とする共産党の政治思想や政策方針に迎合しなければならないということです。
少しでも文言や言い回しを間違えれば、党内の保守派から、党への忠誠心に欠けている、習近平思想をきちんと学習していないなどと批判され、自らの政治生命すら危うくなり得るリスクがあるということです。故に、自らの言葉で中国の国情や問題を、外国人を含めて分かりやすく語ることに長けている、それを好む李克強ですらそうなのですから、ほかの高級幹部や全国各地にいる役人などは、ガチガチに固まり、緊張しながら、日々の業務に当たっているというのが現状でしょう。
私は、習近平政権下におけるこの政治情勢を「恐怖政治」と呼び、これが原因で、上から下、中央から地方まで、問題を解決し、改革を実行していかなければならない政治家や官僚が、のびのびと、積極的に政策運営に奔走できなくなるジレンマを懸念してきました。中国経済の健全な発展にとっての一つの重大なリスクが、習近平に権力が一極集中し、周りが皆緊張、そんたくするイエスマンと化している政治事情に見いだせると指摘するゆえんでもあります。
2:「6%は低くないよ」
自らが「政府活動報告」で公表した、今年の6%以上という経済成長率目標に関して、李克強は次のような描写をしています。少し長くなりますが、非常に重要なので引用します。
「我々は6%以上の成長と言った。6%は低くない。現在中国経済は100兆元に達したが、6%ということは6兆元。仮にこの数字を第13次五カ年計画初期(筆者注:2016年頃)に当てはめれば、8%以上の成長が必要なことになる。しかも、6%以上というのはやや低めに設定してある。実際の過程では、成長はもう少し高くなる可能性もある。我々は計画を定めているのではなく、市場予測を引導しているのだ。この予測が経済の回復的成長という基礎を固めることにつながり、高質量の発展を推進し、持続可能性を保持し、特に来年、再来年の目標につながることで、大きな上げ下げを引き起こさないことを我々は望んでいる。さもなければ、市場予測は混乱するだろう。一時的に成長スピードが速いことは安定を意味するわけではない。安定してこそ、経済が力強く回るのだ。中国のような巨大な経済は、将来を見据えて安定的に成長してこそ、長期的な前進が保持できるのだ」
前回レポートでも、国家統計局の局長級幹部の話を引用しながら指摘したように、中国政府として、新型コロナウイルスからのV字回復そのものよりも、李克強自らが主張するように、あえて低めに設定し、来年や再来年につながる、中国経済が安定的に運行している状況を内外で可視化していきたいということなのでしょう。長期的発展という観点から、スピードよりも安定感を重視しているということです。中国のような人口14億のマーケットにとっては、それすらも一筋縄ではいかない故の目標設定ということなのでしょう。
3:中国にとって雇用が最優先事項である独自の理由
中国政府が経済政策・運営の中で最も重視している要素の一つが雇用です。失業者があふれれば、社会不安がまん延し、それこそ中国共産党の正統性にとって脅威になる、人民が暴れだす可能性があるからです。
李克強は次のように言います。
「昨年、我々はマクロ政策を制定する際、不確定要素が多すぎたため、経済成長の目標を制定しなかった。ただ、何度も考え、議論した結果、雇用目標は制定することにした。900万人という数字である。我々は、プラス成長すべく尽力すると言ってきたが、実際のところは、900万人という都市部における新たな雇用を創出できれば、経済のプラス成長は実現できると考えていた。雇用が収入を生み、それが消費を促し、経済を成長させるからである」
そして、次のように続けます。
「今年、我々の雇用圧力は依然として大きい。都市部で新たに創出されるであろう雇用は約1,400万人。うち、大学卒業生は史上最高の909万人だ。それ以外に、退役軍人の雇用問題がある。2億7,000万~2億8,000万人いる農民工(筆者注:農村から都市部に出てくる出稼ぎ労働者)にも就業機会を与えなければならない。したがって、今年、我々がマクロ政策を制定する際に、やはり雇用優先の政策を堅持したのである」
中国の経済社会、そして政治にとって、雇用というファクター(要素)がどれだけ重要視されているかが露呈する指摘であることは一目瞭然でしょう。雇用あっての成長、経済の成長あっての政治の安定、そのためのマクロコントロールであり目標設定、という中国の政治経済学の論理と前提が見て取れます。中国経済やマーケットの状況や推移を見る上で参考するに値する国情なのです。
4:顕在化する高齢者の医療問題。少子高齢化は経済にとってはチャンス?
中国では、特に都市部において夫婦の共働きが普遍的です。そして、子供の世話をしてもらうため、夫婦どちらかの母親に(あるいは交互に)、地方から出てきてもらい同居しているという光景が日常化しています。ただ一つ、その母親が病気などになった際、医療をどう受けるかという問題があります。医療保険が適用されるには、戸籍所在地の病院で治療を受けなければなりません。そのため、孫の世話をする高齢者が、医療費をすべて自費で賄わなければならないという状況が問題になってきたのです。
これに対し、李克強は次のように答えています。
「この問題は我々政府としても決意を固めて、徐々に解決していかなければならない。今年、政府は問診費の省をまたいだ直接清算の範囲を広げ、来年末には、すべての県が医療機構を指定し、問診費を含めた医療費をどの場所でも医療保険でカバーできるようにする。このことで、高齢者たちをこれ以上心配させるわけにはいかないのだ」
現在、中国において65歳以上の人口が総人口に占める割合は12%に達しており、「中レベルの高齢化社会へ突入した」というのが政府の定義です。少子高齢社会になっても、中国特有の、両親が共働きで、上の世代が下の世代の面倒を見るという構造は変わらないでしょう。そんな中、増えていく高齢者がいかに過ごすか、高齢者の生活状況をいかに経済成長に生かしていくかが、より重要になっていくのでしょう。
李克強は会見の中で、「中国の高齢者人口は2億6,000万人に達していて、高齢者向け産業も一つの巨大な前途ある分野である、それは多様な需要をもたらすだろう」と指摘しているのも興味深いところです。中国には「養老(ヤンラオ)」という概念が普遍的で、高齢者が居住、生活する「養老院」や、それに付随する娯楽施設・サービスなどを含め、養老産業が最近注目を集めています。株式市場にも参入してくるでしょう。政府も、この分野における民間への権限委譲、規制緩和に動き始めています。
5:李克強が自覚する科学技術分野の遅れと閉鎖性
全人代を扱った、前回、前々回のレポートで、中国が第14次五カ年計画、2035年までの中長期戦略において、いかに技術力の自立自強を掲げているか、それをもって米中戦略的競争関係という新たな局面に立ち向かい、経済を持続可能に発展させようとしているかを議論してきました。この点に関して、李克強は会見で次のように語っています。
「現在、我が国における社会全体の研究開発費のGDP(国内総生産)比率は依然高くない。特に基礎研究への投入は研究開発全体の6%しかない。先進国は通常15~25%に達する…科学技術が自立自強すること、科学者が奮闘、努力することは、国際協力や同業者間の交流と矛盾しない。閉鎖的になっては、前途はないのだ。中国は知的財産権を保護する前提で、各国との科学技術分野における協力を強化し、人類文明の進歩を共に促進していきたい」
李克強自身が、中国経済が欧米や日本など先進国の経済に比べて劣っている部分を、科学技術、特に基礎研究に見いだしている現状がうかがえます。後半部分の発言にあるように、今後、中国が技術力の自立自強を追求する過程で、どれだけ閉鎖的にならないか、研究や成果にどれだけの透明性を付与するかに私も注目しています。中国という国家の信用を勝ち取るために、この手の透明性はますます不可欠になってくるでしょう。
6:「市場主体」が中国経済の鍵を握る?
李克強が好み、会見でも何度も使った言葉が「市場主体」というものです。意味は、「マーケットで主体性を保持して動くプレーヤー」といったところでしょうか。李克強は次のように言います。
「昨年、我々が改革を推進する過程で突出していたのが、マクロ政策を制定、実施する中で、市場主体の需要を考慮したこと、市場主体の困難を解決し、彼らの活力を生かすこと、それをもって、中国経済のファンダメンタルズを支えることだ。中国改革開放40年来、我々は社会主義市場経済を発展させてきた。市場主体を不断に育成、発展させてきたのだ。市場主体が育成されれば、市場が資源配置の中で決定的な役割を発揮し、政府がより健全な役割を発揮することが可能になる」
習近平という各分野の権力を手中に収める最高指導者の影に隠れ、権限が限られていると揶揄(やゆ)されてきた李克強が、それでも尽力してきた分野の一つが、マーケットに強く依拠した経済発展モデルの構築です。「市場主体」たちがよりダイナミックに経済活動に従事できる環境を作り、それが結果的に経済成長につながることを期待し、促そうとしたのです。
李克強によれば、第13次五カ年計画の5年間で、中国の市場主体は6,000万社増加し、コロナ・ショックを乗り越え、現在では1億3,000社になった、また、自営業者は昨年1,000万社以上増え9,000万社に上り、2億以上の雇用を創出したとのことです。李克強は言います。
「市場主体の積極性を活性化させること、活性度を向上させること、これこそが政府が改革を推進する上での努力の方向性である」
7:教育こそが中国を救う?
私自身、過去の18年間、中国の人々と付き合う中で切実に感じてきた点ですが、中国人が最も重視し、投資する分野の一つが子供の教育です。教育分野は、長期的に見て、魅力的なマーケットになっていくと確信しています。そこには決してなくなることのない、中国人の生きざまや国民性に立脚した需要があるからです。以前扱った不動産市場と同じ論理です。
李克強は次のように言います。
「教育と健康の関係は、すべての過程、そして国家と民族の未来に関わる。今回、全人代の代表団審議に参加した際、ある高校の校長先生が言っていた。現在、田舎の高校には良質な教師資源が欠けている、教師の待遇はよくなく、学歴も向上しないと。今年、我々は田舎の教師への研修に対する投資を増やし、彼らが仕事をしながら学歴を上げ、職場での評価を上げられるような政策を実施していく。また、都市部で働く農民工の子供に対しては、居留証さえ持っていれば教育を受けられる機会を享受できるようにする。家庭の状況や出身地が原因で、これらの子供たちをスタートラインで遅れさせるわけにはいかない。機会均等の中で、教育の均等は最大の公平であるべきだ」
文化大革命(1966~1976年)終了後、北京大学の学部で法律を、大学院で経済を学び、その後、国務院総理まで駆け上がった李克強だからこそ、教育が国家の発展にとっていかに重要なのかを、自分なりに理解しているのでしょう。
8:内需拡大と対外開放という「双循環」は両立するか?
記者会見の最後に李克強が語った言葉が以下のものです。私自身、最も考えさせられた文言でした。
「我々はより一層主体的に、サービス業を含めた対外開放を推し進める。外国企業が中国に投資する上でのネガティブリストを引き続き縮減していく。多くの外国企業が、中国のビジネス環境に注目しているのを私は知っている。我々は引き続き市場化、法治化、国際化のビジネス環境を構築していかなければならない。あらゆる努力を通じて、内需を拡大する中で不断に開放を拡大することで、中国が外国企業にとって重要な投資の目的地になること、世界の大市場になるというのが目標なのだ」
本連載でもたびたび扱ってきたように、現在、中国政府は「国内大循環」という内需重視の国家戦略を打ち出しています。ただ、「内需重視」=「外資軽視」につながらないか、中国の経済やマーケットが内向き、閉鎖的になるのではないかという懸念を呼び起こしてきました。李克強の返答はそれらを打ち消したいという動機に駆られて発せられたものだと解釈できるでしょう。
内需を拡大していく過程で、いかに外資の力を使うか。
対外的に開放すればするほど、内需が拡大するという(安倍晋三政権でうたわれた日本の「観光立国」戦略なんかもこの論理・動機で実施されていたといえます)“双循環”をどう構築していくか。外資が、購買力を増し、ますます多様でダイナミックな需要を放出するようになっている中国市場で生き生きとビジネスをし、収益を拡大し、中国の消費者もその過程で生活を豊かにするような局面が生まれれば、中国経済と世界経済がウィンウィンの関係を築けるようになっていくのかもしれません。
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