「ドルコスト脳」を思いついたきっかけ

 筆者が、今回、あらためてドルコスト平均法的な思考が問題だと思うようになったのは、ある新聞記事がきっかけだ。

 老後の資産の取り崩し方について「60歳から年率3%で運用して75歳まで毎年4%資産を取り崩し、75歳で運用を中止して95歳まで定額で取り崩す」という不適切な方法を紹介する記事だったのだが、「投資資産 売却も時間分散」、「安値売りリスク回避」と見出しが打たれていたのだ。

 その時々の資産額に応じて余命の設定に余裕を持って計画的に資産取崩額を決める(例えば毎年決める)ことは悪くないが、60歳で4%も取り崩すのは使い過ぎだろうし、3%の運用利回りを目指していいかどうかはどのくらいのリスクを取ることが適切か個人の事情によるし、現在の金融環境で「3%」(税前には約3.75%必要だし、運用商品には手数料もある)を目指すには相応に大きなリスクが必要だ(株式性の資産を6割から8割くらいは組み入れる必要がある)。

 将来の運用益をあてにして早い時点から大きな額を取り崩すのは危険だ。また、75歳で運用を中止して一気に現金化するのは本人にとっても相続人にとっても運用機会の放棄でありもったいない。信頼できる子供のサポートなどを受けながら、「普通の運用」を継続することが適切だろう。

 総合的に見て、支離滅裂で完全にダメな方法なのだが、記事の見出しを見るに、15年間に売却時期を分散すると「安値売り」が回避できることを理由にいい方法だと思っているらしい。高値買いをせずに済むことを理由にドルコスト平均法を良いと思う思考に似ていて、最適な投資額ではなく、売買の単価に着目している点に共通の弊害がある。そこで、こうした考え方に「ドルコスト脳」と名付けてみることにした。

 これは、買値ではなく、売値に関して余計なこだわりを持っている例だが、時々の局面で適切な額のリスク資産を持ち、適切な額を取り崩すといいのであって、珍妙な方法を「売り単価の平均化」を理由に採用するべきではない。

 売り買いの平均単価とその勝ち負けにではなく、あくまでも「現時点の最適な投資額」に着目しよう。投資はその方がすっきり分かるし、正しい行動につながりやすい。