過去の買い値は意思決定には無関係

 仮に、500円の株式を3千株持っている人がいるとしよう。150万円の評価額だ。税金の問題を除外して考えるとして、この株式について、全部ないし部分的に売るのか、買い増しするのか、あるいはそのまま持つのか、の意思決定は、この株を過去にいくらで買ったのかと無関係に行うべきだ。過去の買い値が100円であっても、50円であっても関係なく、現在500円のものとして扱いを決めるべきだ。

 将来の見通しや、500円という現在の株価に対する割安・割高の評価、さらには他の保有銘柄との関係などを考えるべきだが、150万円の投資ポジションを、「減らすか・増やすか・そのまま維持するか」を考えたら良いのであって、過去の買い値や、現在の評価損益は「正しい意思決定」には何ら関係ないことは、物事を合理的に考えられる人なら納得できよう。

 例えば、現在の株価が過去の買い値の平均より高くても安くても、必要があれば(株価の見通しが悪い、お金が要る、他に優れた投資対象がある、など)その株式を売ることが正しい場合があるだろう。

 自分が過去にその株をいくらで買ったかは、気になるとしても、正しい意思決定を行う上では、意識的に考慮要素から除外すべき問題だ。運用は一銘柄単位の勝ち負けのために行うものではない。

 もっとも、自分の買い値と現在の株価との関係が気になるのは「自然な感情」であり、その感情がしばしば行動を歪めることは、行動経済学のプロスペクト理論でモデル化されているくらいのものだ。ただし、合理的に意思決定し、行動するためには、この歪みは積極的に肯定すべきものではなく、なるべく排除すべき性質のものなのだ。

 ドルコスト平均法は、平均買い単価に着目することで、本来なら意識的に無視しなければならないサンクコストに、かえって注意を向けさせてしまう弊害がある。

 初心者向けの投資の説明などで、例えば、「前月1,000円で買い始めた株が、今月500円になっていたら、今月は2株買うことができて、平均買い単価が約667円になるので、167円以上値上がりすると儲けが出る…」といった説明で定額投資の効果に感心させようとする説明を聞くことがあるのだが、話の馬鹿馬鹿しさと共に、「こういう説明は止めたほうがいいのになあ」とつくづく思わずにはいられない。

「株価が下がっても、考えようでは後悔せずに済む」と吹き込むと、初心者は投資を始めやすくなるかもしれないが、株価が下がるには下がるだけの理由があった可能性があるし、今後に株価が下がりにくくなると言える明確な理由はないのなら、この説明は誠実ではない。

「その時の状況に応じて適切だと思う投資額を作るといいのだ」と最初から正しい考え方を教えるべきだろう。投資の初心者だからといって、合理的な思考ができない人のように扱うべきではない。「親切」のつもりなのかもしれないが、「不正確」や「失礼」に陥っている初心者向けの投資教育をしばしば見かける。