「浦和」と「大宮」…埼玉県を代表する二大拠点

 埼玉県の県庁所在地、さいたま市。人口は1,311,555人(2019年9月1日現在)と、堂々たる百万人都市である。そもそもこの街ができたのは、2001年5月。それまで県庁所在地だった旧浦和市と旧与野市、そして旧大宮市が合併して誕生した。

 この「浦和」と「大宮」。合併する前も、合併した後も、何かと比較されがちで、ライバル関係と言われることが多い。また大手住宅情報誌の「住みたい街ランキング」で、大宮が4位で、浦和が8位と、近年、人気が上昇しているエリアでもある。今回、埼玉県の二大拠点を、不動産投資の観点で比較をしてみた。

「浦和」駅は、さいたま市南部の「浦和区」に位置する(旧浦和市は4つに分割され、浦和区、桜区、南区、緑区が設置された)。宇都宮線・高崎線、京浜東北線、湘南新宿ラインと、JR4路線が乗り入れ、「東京」には最短25分、「新宿」には最短21分。また神奈川方面や北関東にもダイレクトにつながり、交通の便は申し分ない。

 元々浦和は江戸時代、五街道の1つ中山道の宿場町として栄えた街。近郊は沼地が多く、「浦和宿」近くは鰻が多く獲れたという。今でも浦和周辺には老舗の鰻店が点在するのは、そのためである。

 また行政施設が集まる浦和には、もうひとつ、「文教の街」という側面がある。明治時代に、国内有数の公立進学校「埼玉県立浦和高等学校」の前身「埼玉県立第一尋常中学校」や埼玉大学の前身「埼玉県師範学校」など、多くの教育施設が設置され、「文教都市浦和」という地位を確固たるものにした。

 駅周辺には商業施設が集積する。80年代、西口再開発で誕生した複合商業施設「浦和コルソ」の核テナントには、「伊勢丹浦和店」が入居。また2015年には駅の高架化に伴い、「アトレ浦和」が誕生した。長らく浦和の中心は、行政・商業施設が集積する西口エリアだったが、2000年代以降、東口エリアでも再開発が進行。「浦和PARCO」が核テナントの複合商業施設「ストリームビル」が誕生するなど、存在感が増している。

「浦和駅」周辺環境
右/駅西口の「伊勢丹浦和店」は、埼玉県の百貨店で一番の売り上げを誇る 左/パルコ単館では最大の規模を誇る「PARCO浦和店」

 一方、「大宮」駅は、さいたま市中西部の「大宮区」に位置する(旧大宮市は4つに分割され、大宮区、西区、北区、見沼区が設置された)。東京から東北地方と信越地方を結ぶ路線の分岐点であり、交通の要所として知られ、JRは新幹線(東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸)、在来線は京浜東北線、宇都宮線、高崎線、埼京線、川越線、さらには東武鉄道野田線、埼玉新都市交通ニューシャトルと、13路線が乗り入れる。これは「東京」に次いで、全国第2位の規模である。

 大宮は、平安時代の『延喜式神名帳』にも載っている、武蔵国一の宮・氷川神社を「大いなる宮居」とあがめたことに由来するといわれている。門前町として栄えたのち、江戸時代には中山道の宿場町として整備された。そして大宮の発展を決定づけたのが、現在の宇都宮線の開通に合わせて1885年に開業した、「大宮」駅の存在である。1896年には駅北側に「日本鉄道大宮工場」(現・大宮総合車両センター・大宮車両所)が開設し、鉄道の街として発展。現在、3社合計で約70万人/1日が乗降する、埼玉県第1位の大ターミナルとなっている。

 駅周辺はターミナル駅にふさわしく、商業施設やオフィスビルが集積。エキナカの「エキュート大宮」や駅ビルの「ルミネ大宮」のほか、再開発によりきれいに整備された西口エリアには、「そごう大宮店」や「大宮マルイ」、「東急ハンズ大宮店」、複合商業ビル「大宮アルシェ」など、大型の商業施設が並ぶ。

 一方東口は宿場町を起源とする商業エリアであり、飲食店が密集する歓楽街「大宮銀座通り商店街」など、どこか昭和レトロの雰囲気を漂わせている。かつては西武百貨店や長崎屋など大型商業施設も点在していたが、現在残るのは「髙島屋大宮店」のみ。西口やさいたま新都心の台頭により、地盤沈下が激しいエリアでもある。しかし、2017年に閉店した大宮中央デパートの跡地で大型の再開発が決まるなど、いくつもの再開発計画が進行しており、今後の展開に期待が高まっている。

「大宮」駅周辺環境
右/整然とした街並みが続く西口エリア 左/小規模店舗が軒を連ねる東口エリアは、再開発に期待が集まる