運用計画での「負債」の扱い方

 例えば、運用計画に適切な期間が当面の1年だとしても、将来、たとえば、20年後、30年後に、一定の金額が必要な資金を運用するのだとした場合、どう考えたらいいのだろうか。

 完全積立方式の企業年金の積立金運用のような場合に、こうした問題が発生する。長期的に、支払いの義務が見えている生命保険会社の資産運用なども、これに近い要求をもっている。

 この場合に必要なことは、資産運用計画を、ぼんやりと20年、30年といった期間で考えることではない。

「○○年後に、いくら」という「負債の現在価値」を、資産から差し引いた純資産の価値を、1年間の想定期間にあって最適化すればいい、というのがその答えだ。資産も負債も時価評価して最適解を求めたらいいのだ。

「このお金の運用に対しては、○○年後に、○○○○万円必ずいる」という目標があれば、その目標をマイナスのウエイトを持つ資産として、いわば長期債を「買う」のではなく、「発行する」ような形で、アセット・アロケーションの計算に加えたらいい。

 年金基金や生命保険会社の資産・負債の構造はこのようなものになっており、近年の長期金利低下で、負債側の時価評価額が膨らんで、積立不足が問題になっている。

 ただし、個人の場合、「将来に向けて、必要な貯蓄額を貯蓄しつつ、持っている金融資産では、許容出来るリスクの範囲内でリスクを取って、なるべく効率良く運用して、保有資産を増やす」という方針及び「運用目標」で構わないだろう。

 以前書いた「人生設計の基本公式」を考えると分かることだが、運用がうまく行った場合は、老後の生活を豊かにしてもいいし、当面の必要貯蓄率を下げて、現役時代に使ってもいい。

「インフレに負けない」ということはできれば達成したいことだが、これだけに拘るほどの意味はない。インフレ率以上に儲かったとして、何ら困ることもないし、一時的なインフレ率の高騰に運用利回りがどうしても追い着かない場合も起こり得る。しかし、後者の可能性があるからといって、今から商品相場でポジションを持ったり、利息も配当もない貴金属に資産を変えたり、実質的に、マイナス利回りの物価連動国債に資産全額を投じたりする必要はない。

「その時々に、許容可能なリスクの範囲で、なるべく儲けられるようにポートフォリオを組む」ということでいいだろう。

宗教としての「長期投資」は卒業しよう

 あらかじめお断りしておくが、筆者は、「短期売買」ないし「短期投資」を推奨する者では、一切ない。

 しかし、同時に、「長期投資なら、着実に儲かる」とか「長期投資はリスクを縮小するとか」「資本主義の長期的発展に賭けようとか」、あるいは、単に「長期投資は素晴らし」と叫ぶような、「長期投資」に特別の効果や役割を期待するような、いわば「宗教としての長期投資」は、卒業する方がいいのではないか、と考えている。

 運用会社などからの、投資家に対する広報・啓蒙活動(両者を一緒にやることに、そもそも問題があるが)を見ると、「長期投資教」とでも呼びたくなるような、長期投資に対する過剰期待が煽(あお)られているように思う。

 これらは、投資啓蒙の初期にあって一定の役割を果たしたかも知れないが、投資の世界を知った人は、そろそろその先の「リアルな投資の姿」に目覚めてもいいのではないかと思う。長期投資への単純な期待は「卒業」してもいいのではないだろうか。