2,000円札発行の裏事情と空振りの理由

 2,000円札は2000年の沖縄サミットを記念して2000年7月19日に発行されました。2,000円札を発行すると公表したのは、前年の1999年10月29日(約9か月前)。小渕恵三首相の発案で、宮澤喜一大蔵相が決定しました。

 沖縄サミットは7月21日から23日。サミットの開催日に合わせなかったのは、21日が金曜日で金融機関の繁忙度が高いから、開催日直前に2,000円札を発行してお祝いムードを醸成しておきたかったからなど諸説あるようです。前日は海の日で祝日。発行日の19日(水)は大安でしたので、そこに合わせたのかもしれません。

 2,000円札の発行には、日本銀行の論文や日銀OBのテキストが理論的な後押しをしたようです。当時、5,000円札に比べて1,000円札があまりにも多かったので、紙幣の製造コストを抑え、利便性を高めるには2,000円札の発行が理論的には望ましいという議論がありました。2,000円札があれば、9,000円も8,000円も紙幣3枚の組み合わせで済むという利便性もあります。

 欧米主要国でも紙幣の種類(券種)は5~8種が発行され、発行枚数もバランスが取れていましたので、2,000円札が発行されれば、発行枚数の偏りが是正されるとの期待がありました。日銀OBで慶應義塾大学総合政策学部の岡部光明教授(当時)が著した『現代金融の基礎理論』(日本評論社、1999年)の該当箇所のコピーが関係者に出回ったと聞いています。

 その後の2,000円札の経緯はご存知の通りです。2004年の改刷を機に、自販機やレジが改修されるので、2,000円札も使われるようになるだろうとの関係者の思いは空振りに終わりました。改修は進んだのですが、個人の習慣を変えることはできませんでした。官民挙げて2,000円札の普及に努めた沖縄県では流通していますが、2024年の改刷では今のところ2,000円札は見送られる方針です。

かつてなく早い改刷公表と長い準備期間

 2,000円札は公表から発行まで9カ月足らずの異例の短さでしたが、2004年11月1日の改刷は2002年8月2日に公表されており、新紙幣の発行まで2年3カ月です。今回は2024年度上期に新紙幣の発行が予定されているので、従来よりもかなり早い5年前の公表になります。

 この時期の公表について、麻生財務相は「たまたま改元と重なった」と述べていますが、5,000円札の津田梅子の肖像が左右反転したままになっていたりと、ドタバタしています。2024年度上期という発行時期も珍しく、1958年発行の聖徳太子の1万円札は12月1日、それ以降の紙幣は2,000円札を除き、11月1日に発行されています。

 1月の連載記事で述べましたが、12月末が一年で最も発行残高が多くなります。年末年始の買物のほか、お年玉のための現金需要があるためです。新紙幣への切り替えを促しつつ、金融機関等の事務負担平準化を考えると11月1日というのは悪くない日付です。

 また、11月11日は渋沢栄一の命日・青淵忌(せいえんき)にあたり、11月は渋沢史料館(東京都)や生誕地である埼玉県深谷市などでイベントが開催されています。新紙幣を盛り上げるには11月が格好だと思いますので、発行時期の後ろ倒しに期待したいところです。

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