現金をめぐる最近の議論について
ここまでは過去のデータを振り返ってきましたが、まとめを兼ねて、現金をめぐる最近の議論について、簡単にコメントしたいと思います。
まず、景気との関係についてです。日本銀行が現金を増やせば景気が良くなるという意見を見聞きすることがありますが、平成元年からのデータを見ても分かるように、現金の発行額と景気は関係がなさそうです。なにより、日本銀行は現金の量をコントロールすることはできません。
経済学の教科書では、「中央銀行が現金を供給すると、銀行に預けられて預金になる。預金のうち、法定準備を除いた額が貸し出され、また預金となる」、という信用創造の説明があります。
このように説明されると、現金を発行(供給)する中央銀行が発行額を決められるように勘違いしてしまいますが、現金の需要は、経済活動や金利、金融機関の経営状態など様々な要因に左右されます。現金は、銀行などが日本銀行に預けている日銀当座預金を引き出したことで増えます。銀行などの金融機関の現金需要も、金融機関から預金を引き出す家計や企業の現金需要に左右されます。
日本銀行はホームページで、「お札の発行額はどうやって決まるのですか?」との質問に対して、「銀行券(お札)の発行額は、世の中でどれだけ銀行券に対する需要があるかによって決まります」と述べています。現金の量が景気を良くするのではなく、所得が増えることで景気が良くなります。家計の賃金の伸び悩みについては、前回の「数字で見る、平成の日本経済と生活」記事で指摘した通りです。
次に、「キャッシュレス」をめぐる議論です。日本は現金大国で、銀行券の製造費用だけでも1年間に約500億円を使っています(日本銀行の「業務概況書」に予算が記されています)。金融機関だけではなく一般企業や家計も含めて、銀行券の管理や運送、警備に係る実際の支出額や、管理に要した時間といった機会費用も考慮すると、現金のコストは1年間で数兆円に上ると思います。
現金を減らすという意見には私も賛成です。利便性・セキュリティが高い電子決済が普及すれば良いと考えています。ただ、一足飛びに現金を無くしたり、大幅に減らしたりするのは難しいと思います。大規模災害が起きた場合、停電や通信網の切断が生じて電子決済が使えなくなり、一方で、非常食などを購入するので、現金需要が急増します。
日本銀行に入行して、発券局での研修期間中に、阪神・淡路大震災が起きた当時の神戸支店の激務を当事者から伺う機会がありました。東日本大震災の様子は日本銀行仙台支店のホームページに資料が掲載されています。現金を人力でピストン搬送し(1億円は10kgあります)、土日も仙台支店は営業しました。
大規模災害時の現金の扱いは人の命に関わる問題なので、平時だけを想定するわけにはいきません。現金を大幅に減らす・無くす方向に進むのであれば、大規模災害時に店舗が無償で配った物品については、後日、政府が全額負担するといった思い切った制度が必要になると思います。
現金の発行側にいた経験がある身としては、キャッシュレスが進んだ結果、有事に脆い経済になるという事態は、避けなければならないと考えています。